池田慶栄
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池田慶栄 | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天保5年3月23日(1834年5月1日) |
死没 | 嘉永3年5月23日(1850年7月2日) |
墓所 | 鳥取藩主池田家墓所 |
官位 | 従四位上、侍従、因幡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶 |
藩 | 因幡鳥取藩主 |
氏族 | 前田氏→鳥取池田家 |
父母 |
父:前田斉泰、母:溶姫 養父:池田慶行 |
兄弟 | 前田慶寧、前田利義、慶栄、前田利行、前田利鬯、前田直会、前田利同、前田利武、洽子、坻子ら |
妻 | 正室:聡姫(池田仲律の次女) |
子 | 養子:慶徳 |
池田 慶栄(いけだ よしたか)は、江戸時代後期の大名。因幡鳥取藩の第11代藩主。官位は従四位上侍従、因幡守。鳥取池田家13代。
略歴
嘉永元年(1848年)、10代藩主池田慶行が17歳で早世したが嗣子がいなかったため、幕府は前田斉泰の四男の喬心丸(将軍徳川家慶の甥)を藩主に、慶行の同母妹にあたる分家(鹿奴藩(東館))の池田仲律の娘の延子(後に整子〔さだこ〕)を嫁がすよう指示した。嘉永2年(1849年)、喬心丸は伯父である将軍徳川家慶の前で元服し、偏諱を受け慶栄と名乗り、従四位上侍従に叙任、鳥取池田家代々の因幡守を名乗る。
翌嘉永3年(1850年)、初めての国入りのためその途についたが、江戸から鳥取への道中で病に罹り京都の伏見藩邸にて急死した。嗣子はなかったため、水戸藩主徳川斉昭の五男・昭徳(池田慶徳)が養子となって跡を継いだ。
系譜
- 父:前田斉泰(1811-1884)
- 母:溶姫(1813-1868) - 偕子(ともこ)、景徳院、徳川家斉の二十一女
- 養父:池田慶行(1832-1848)
- 正室:聡姫 - 整子、延子、宝隆院、池田仲律の次女
- 養子
参考文献
- 財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/作成『史跡 鳥取藩主池田家墓所』(2006年3月31日刊行)