池田慶行

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池田慶行
Ikeda Yoshiyuki.JPG
池田慶行
時代 江戸時代後期
生誕 天保3年4月24日1832年5月24日
死没 嘉永元年6月13日1848年7月13日
改名 亀丸、茂高、茂行、慶行
戒名 正国院殿純徳玄明大居士
墓所 鳥取藩主池田家墓所
官位 従四位下侍従因幡守左近衛少将
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶
因幡鳥取藩
氏族 池田氏(仲澄流)池田氏(忠継流)
父母 池田仲律、若林氏
池田斉訓
兄弟 慶行仲建、聡姫、銓子、千世子ら
慶栄
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池田 慶行(いけだ よしゆき)は、江戸時代後期の大名因幡鳥取藩10代藩主。官位従四位下侍従因幡守左近衛少将。鳥取藩池田家宗家12代。

略歴[編集]

鳥取池田家の分家である鹿奴藩(東館)主・池田仲律の長男として誕生。幼名は亀丸。初名は茂高(しげたか)、茂行(しげゆき)。

天保12年(1841年)、9代藩主池田斉訓が死去した際、養嗣子として10歳で宗家の家督を継ぐ。天保13年(1842年)、12代将軍徳川家慶の前で元服式を行い、偏諱を受け慶行に改名。従四位下、侍従を叙任し、因幡守を名乗る。天保14年(1843年)、佐賀藩10代藩主鍋島斉正の娘・貢姫と婚約する。しかし、のちに婚姻前に慶行が没したため流縁となった。弘化4年(1847年)、左近衛少将に昇任する。

嘉永元年(1848年)、17歳の時に鳥取城で死去した。法名は正国院殿純徳玄明大居士。嗣子が無かったため、前田斉泰の四男を養子・慶栄として跡を継がせた。

人物[編集]

体格が良く、武具を好み、華美を嫌う。学問にも力を入れ、漢詩をよくした。また絵が巧みで、藩絵師沖一峨を師とし、武者絵を得意とした[1]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 伊藤康晴編集 『館蔵品選集1 先人が遺してくれたもの』 鳥取市歴史博物館、2008年3月20日、p.8、ISBN 978-4-904099-01-8

参考文献[編集]

  • 財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/作成『史跡 鳥取藩主池田家墓所』(2006年3月31日刊行)