コンテンツにスキップ

HAYATO

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2023年3月15日 (水) 11:00; 61.120.241.1 (会話) による版 (外部リンク: Wayback化)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
HAYATO
基本情報
本名 三宅 裕二(みやけ ゆうじ)
通称 世界王者 内藤の盟友
叩き上げのベビーフェイス
逆襲のベビーフェイス
階級 スーパーウェルター級(UKF)
ミドル級K-1
身長 180cm
体重 70kg
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1977-12-25) 1977年12月25日(46歳)
出身地 茨城県つくば市
スタイル キックボクシング
テンプレートを表示

HAYATO(はやと、1977年12月25日 - )は、日本男性キックボクサー。本名は三宅 裕二(みやけ ゆうじ)。茨城県つくば市出身。現役時代の最終所属はFUTURE_TRIBE。現HAYATO GYM会長。

攻撃的なファイトスタイルと端正なルックスで、格闘技ファンのみならず女性からの人気も高い。「叩き上げのベビーフェイス」というキャッチフレーズの通り、童顔である。

現在は、スポーツマネジメント会社である株式会社ヴェスパエンターテインメントがマネジメントを担当している。

来歴

[編集]

2000年5月26日、山木ジム所属でプロデビュー。犬走健治(白竜ジム)に判定勝ち。

2003年4月1日、所属ジムのPHOENIXから独立しFUTURE_TRIBEを立ち上げたと同時に、リングネーム隼人からHAYATØに変更する(現在はHAYATO)。

2004年1月24日、六本木ヴェルファーレで行われたUKF(全世界キックボクシング連盟)世界スーパーウェルター級王者決定戦でジェレミー・ハーミンソン(アメリカ / 暫定王者)に3-0の判定勝ちを収め新王者になる。本来HAYATOはジョン・ブルーアーの持つ王座に挑戦する予定だったが、当のブルーアーが試合前にオクラホマ州で交通事故に遭い首を負傷し復帰の目処が立たなかったため、タイトルを返上した後ハーミンソンが暫定王者決定戦に勝利し今回のマッチメイクになった経緯がある。なぜそのまま正王者決定戦ではなくあえて暫定王者決定戦になったのかは不明。

2004年4月7日、日本代表決定トーナメントでの戦いぶりが高い評価を受け、世界王座決定トーナメント開幕戦に推薦出場しマイク・ザンビディスと対戦。最終ラウンドでダウンを奪われ、3-0で判定負け。

2005年6月18日、IKUSA興行で輝浪と対戦。3Rで決着がつかず延長Rを戦い3-0の判定勝ちとなったが、試合後に集計ミスがあったとして、3R終了0-2の判定負けと裁定が覆った。この集計ミスや大会の管理不行き届きの責任を取り小澤進剛がプロデューサー職を辞任した。

2005年10月12日、K-1 WORLD MAX 2005 〜世界王者対抗戦〜でブラックマンバと対戦。1Rに左ストレートでダウンを奪われるも2Rにバックブローでダウンを奪い返し、最後は右ストレートでKO勝ち。K-1初勝利を挙げたHAYATOだが、試合後の会見では「今日をスタートと思いたい」と語った。

2006年は日本代表決定トーナメントに出場。準々決勝で安廣一哉に判定勝ちするも、準決勝ではTKOで勝ち上がってきたTATSUJIの前にスタミナ切れを起こし、判定負け。ベスト4に終わった。同年9月4日に行われたK-1 WORLD MAX 〜世界王者対抗戦〜ではウクライナの新星アルトゥール・キシェンコと対戦。延長まで縺れ込んだ接戦を判定で制した。

2008年2月2日、「K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜」に出場。1回戦で龍二と対戦し、3Rまで互角の戦いを繰り広げ、2Rに奪ったダウンのポイントを護りきり判定勝ち。準決勝では前田宏行と対戦し、1Rにダウンを奪われるものの1R終了後、前田が右肘骨折の疑いでドクターストップによりTKO勝ち。決勝では城戸康裕と対戦し、ダウンの奪い合いとなり、KO負け[1]

2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜に出場。HAYATOは、1回戦で長島☆自演乙☆雄一郎との対戦にのぞみ、「K-1とオタクの違いをみせる」とコメントするもスリーノックダウンにより2RKO負け。

2009年10月4日、RISE 59でスーツ姿でリングに上がり、11月22日の試合を最後に引退することを発表。「最後にどうしてもやりたい相手、倒したい相手がいるので、その選手とやらせてもらえればありがたいです」とアピールした[2]。後日、その因縁(過去2戦2敗)のTATSUJIとの対戦が決定した[3]

2009年11月22日、RISE 60で行われた引退試合でTATSUJIと対戦し、判定負け。現役を引退した[4][5]

2010年5月、東京都目黒区鷹番学芸大学駅)に自身のジム「HAYATO GYM」をオープンした[6][7]

人物

[編集]
  • 2005年にはドラマ「タイガー&ドラゴン」にキックボクサー役で出演した。
  • ボクシングWBC世界フライ級王者内藤大助と合同練習を行うなど親交が深く、2008年2月2日のK-1中継では「内藤の盟友」と紹介され、内藤も会場で観戦した。

戦績

[編集]
キックボクシング 戦績
52 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
30 13 2 0
20
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× TATSUJI 3R終了 判定0-3 RISE 60
【HAYATO FINAL MATCH】
2009年11月22日
× 長島☆自演乙☆雄一郎 2R 0:36 KO(右ストレート) K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2009年2月23日
× 日菜太 3R終了 判定0-3 R.I.S.E. 51 2008年11月30日
ヤン・カシューバ 2R 2:51 KO(左ボディブロー) R.I.S.E. 48 〜THE KING OF GLADIATORs '08〜
【スペシャルマッチ】
2008年7月4日
× 城戸康裕 1R 1:07 KO(3ノックダウン:右ストレート) K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜
【決勝】
2008年2月2日
前田宏行 1R終了時 TKO(ドクターストップ) K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2008年2月2日
龍二 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2008年2月2日
大野崇 3R 1:03 TKO(左フック) シュートボクシング「無双〜MU-SO〜 其の四」 2007年9月30日
裕樹 3R終了 判定3-0 R.I.S.E. FLASH to CRUSH TOURNAMENT '07 2007年6月17日
キム・ソンウク 3R終了 判定3-0 R.I.S.E. FIREBALL 1 2007年4月12日
× TATSUJI 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2007年2月5日
K.MAX 3R終了 判定3-0 R.I.S.E. DEAD or ALIVE TOURNAMENT '06 2006年12月17日
アルトゥール・キシェンコ 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界王者対抗戦〜 2006年9月4日
× TATSUJI 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2006年2月4日
安廣一哉 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2006年2月4日
ブラックマンバ 2R 0:40 KO(右フック) K-1 WORLD MAX 2005 〜世界王者対抗戦〜 2005年10月12日
ALI 2R 1:51 TKO(左まぶたのカット) IKUSA GP -U60 SUPERSTAR☆Z TOURNAMENT -FINAL STAGE-
【スーパーファイト】
2005年9月19日
× 輝浪 3R終了 判定0-2 IKUSA GP -U60 SUPERSTAR☆Z TOURNAMENT -Opening Stage-
【スーパーファイト】
2005年6月18日
× 村浜武洋 3R 1:15 TKO(レフェリーストップ) K-1 WORLD MAX 2005 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2005年2月23日
× ラムソンクラーム・スワンアハーンジャーヴィー 5R終了 判定 ラジャダムナン・スタジアム生誕記念興行
【ラジャダムナン・スタジアム ミドル級王座決定戦】
2004年12月23日
ジャバン・ストジャノフスキー 1R 0:36 KO(右ストレート) FUTURE FIGHTER IKUSA 6 〜宙(SORA)〜GANGSTAR☆Z@Velfarre 2004年11月28日
ドーンダン・バイムーンガッチャーン 2R KO samuraiTV presents 日泰5対5対抗戦 2004年10月3日
× ブラッド・エイド 3R終了 判定1-2 IKUSA YOUNG GUNNERES 3 〜RETURNS〜 2004年7月10日
× マイク・ザンビディス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【1回戦】
2004年4月7日
× 小比類巻貴之 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2004年2月24日
ジェレミー・ハーミンソン 5R終了 判定3-0 FUTURE FIGHTER IKUSA 5 〜乱〜 MONKEYMAGIC
【UKF世界スーパーウェルター級王者決定戦】
2004年1月24日
濱崎一輝 3R終了 判定3-0 IKUSA "YOUNG GUNNERS2 by FUTURE FIGTHER IKUSA" 2003年11月16日
阿部勝 3R終了 判定3-0 FUTURE FIGHTER IKUSA 4 〜宴〜 FIREWORKS 2003年8月30日
× 雷暗暴 3R終了 判定0-3 FUTURE FIGHTER IKUSA 3 〜特攻〜 BROKEN ARROW 2003年6月8日
× 清水貴彦 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜
【リザーブファイト】
2003年3月1日
× タッパヤー・クロスポイントジム 3R終了 判定0-2 IKUSA 「YOUNG GUNNERS by FUTURE FIGTHER IKUSA」 2003年2月16日
北野ユウジ 判定3-0 山木 2003年1月19日
× レームトー・チャイヤプーム 判定0-2 タイ 2002年12月1日
DAVID 延長1R 0:50 TKO(ドクターストップ) Future Fighter IKSA その弐 秋の陣「雷襲」 2002年10月27日
犬走健二 2R 0:56 TKO(2ノックダウン:右ミドルキック) マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「GROUND ZERO PT4」
2002年8月11日
永田健一 3R 2:33 KO マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 2002年7月21日
× ナルンチャイ・タニヤマ 3R終了 判定0-3 IKUSA「-初陣- Kick vs. Techno」 2002年6月16日
俊太郎 5R終了 判定3-0 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「SHIMOKITA GROUND ZERO」
2002年4月20日
岩井知宏 3R終了 判定3-0 KAKUMEIプロジェクト
KAKUMEI KICK BOXING 第2弾
2002年3月24日
× 小次郎 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2002 〜日本代表決定トーナメント〜
【リザーブファイト】
2002年2月11日
(タイ) 不明 不明 不明
× メルチョ・メノー 5R終了 判定0-2 ターゲットオフィス「SPARKS-STAGE.1」 2001年10月18日
久保坂左近 5R終了 判定0-1 Wolf Revolution 〜Third Wave〜 2001年6月22日
× スレイマノフ・マゴメド 3R終了 判定0-2 掣圏道 SWAアルティメットボクシング 2001年5月12日
× フランシス・イタイ 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2001 イタリア大会 2001年4月21日
イゴール 1R 1:24 KO Wolf Revolution 〜Second Wave〜 2001年1月12日
荻野兼司 3R終了 判定0-0 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「COMBAT-2000」ミレニアム・スペシャル
2000年11月11日
岩盾知篤 3R終了 判定3-0 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「MILLENNIUM CHAMPION CARNIVAL」
2000年10月6日
パンサー・トヨタ 2R終了時 TKO マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「COMBAT-2000 王道 II」
2000年9月3日
吉田琢人 1R 1:36 KO マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「GRADIATORS II」
2000年6月4日
犬走健二 3R終了 判定3-0 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟
「第3回梶原一騎杯キックガッツ2000 COMBAT-2000」
2000年5月26日

獲得タイトル

[編集]
  • アマチュア
    • 第1回アマキック全日本選手権大会ミドル級優勝、最優秀賞受賞(日本アマチュアキックボクシング連盟主催・2000年3月)
  • プロ

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
前王者
ジェレミー・ハーミンソン
UKF世界スーパーウェルター級王者

2004年1月24日 - 現在

次王者
N/A