コンテンツにスキップ

畠山義躬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2023年2月24日 (金) 04:09; 松川長十郎 (会話 | 投稿記録) による版 (略歴: タイプミスを修正)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
 
畠山義躬
時代 江戸時代中期
生誕 元禄元年(1688年
死没 元文5年1月21日1740年2月18日
別名 通称:左門、主計
幕府 江戸幕府高家旗本
主君 徳川吉宗
氏族 能登畠山氏(高家肝煎)
父母 父:畠山義寧
兄弟 義躬内藤勝尹上杉知義ら3男2女
正室:津軽政兕
畠山義紀正室
養子:義紀
テンプレートを表示

畠山 義躬(はたけやま よしかた)は、江戸時代中期の高家旗本通称は左門、主計。能登畠山氏高家4代当主。

略歴

[編集]

高家肝煎畠山義寧の長男として誕生。

元禄11年(1698年)8月14日、5代将軍・徳川綱吉御目見する。享保18年(1733年)12月4日、父の隠居により家督を相続する。

元文5年(1740年)1月21日に死去、享年53。家督は婿養子・義紀上杉吉憲の三男)が継いだ。