コンテンツにスキップ

大英博物館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2400:4051:b320:500:7d20:8a29:6de3:4600 (会話) による 2023年2月6日 (月) 01:30個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (歴史)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

大英博物館
British Museum
大英博物館の位置(カムデン区内)
大英博物館
カムデン区内の位置
大英博物館の位置(Central London内)
大英博物館
大英博物館 (Central London)
施設情報
正式名称 British Museum
収蔵作品数 800万点以上[1]
来館者数

1,275,400 (2020) [2]

  • イギリス国内で最多,
開館 1753年6月7日 (271年前) (1753-06-07)
所在地 イギリスの旗 イギリスイングランドの旗 イングランド
ロンドンブルームスベリー グレートラッセル通り英語版
位置 北緯51度31分10秒 西経0度07分37秒 / 北緯51.5194度 西経0.1269度 / 51.5194; -0.1269座標: 北緯51度31分10秒 西経0度07分37秒 / 北緯51.5194度 西経0.1269度 / 51.5194; -0.1269
外部リンク https://www.britishmuseum.org/
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示

大英博物館(だいえいはくぶつかん、: British Museum)は、イギリスロンドンブルームズベリー地区にある人類の歴史芸術文化を専門とする公的機関であり、世界で最初の公立の国立博物館である[3]大英帝国時代に広く収集された約800万点の常設コレクションは、現存するものの中で最大かつ最も包括的なものであり、人類の文化の始まりから現在までを記録している[4]

1753年、イギリス系アイルランド人の医師であり科学者であるハンス・スローン卿のコレクションをもとに設立された博物館[5]は、1759年に現在の建物の敷地内にあるモンタギュー・ハウスで初めて一般公開された。その後250年以上に渡り、イギリスの植民地化が進んだ結果、いくつかの分館が設立され、最初の分館は1881年に設立された自然史博物館だった。

1973年、1972年の大英図書館法により、大英博物館から図書館部門が切り離されたが、1997年までは博物館と同じ図書館室と建物で、現在は分離された大英図書館を受け入れていた。博物館はデジタル・文化・メディア・スポーツ省が後援する非省庁型公共団体であり、英国の他の国立博物館と同様に、貸し出し展示を除き入場料は無料である[6]

他国で生まれた最も有名な作品の所有権は争われており、特にギリシャのエルギン・マーブル[7]やエジプトのロゼッタ・ストーンのケースでは、本国送還の要求を通じて国際的な論争の対象となっている[8]

歴史

ハンス・スローン卿

大英博物館の起源は、アイザック・ニュートンの後を継いで王立協会会長を務め、古美術収集家として知られたハンス・スローンの収集品にさかのぼる[9]

スローンは遺言で、政府が博物館を建設するとの条件の下で、自身が収集した蔵書・手稿・版画・硬貨・印章など8万点をイギリス政府に有償で寄贈することを指示した[10][9]。管財人達はイギリス議会に働きかけ、議会はすでに国に所有されていたコットン蔵書と、売りに出されていたハーレー蔵書を合わせて収容する博物館を設立することを決定した。博物館の設立には宝くじ売り上げが充てられることになり、1753年に博物館法によって設立され、一般向けには1759年1月15日に開館した。初代館長は著名な医師で発明家でもあったゴーウィン・ナイト英語版(Gowin Knight)。

当初はモンタギュー・ハウスで開設していたが展示品が増えるにつれて手狭になり、1823年ジョージ4世が父親から相続した蔵書を寄贈したことが契機となってキングズライブラリーが増設された。1857年には6代目館長(主任司書アントニオ・パニッツィの下で、現在も大英博物館を象徴する建造物となっている円形閲覧室が中庭の中央部に建設された。

しかし収蔵品の増加に追いつかないため、1881年自然史関係の収集物を独立させた自然史博物館サウス・ケンジントン英語版に分館として設立された。

図書館機能の改組

円形閲覧室のパノラマ写真

1973年には図書部門がロンドン国立中央図書館等と機能的に統合されて大英図書館となり、1997年に書庫と図書館機能は完全に独立しセント・パンクラスの大英図書館新館に移った。旧大英博物館図書館は書庫を取り払って円形閲覧室のみを残し、現在は博物館の各室を繋ぐ自由通路でありミュージアムショップや料理店を附設する屋根付きの中庭(グレート・コート:ノーマン・フォスター設計[11])とされている。

また、館に収蔵されている美術品や書籍などのうち展示されていないものも事前予約をすれば実際に見ることができる、スチューデント・ルームと呼ばれる部屋が館内に数か所ある

運営

大英博物館の収蔵品は多くが個人の収集家の寄贈によるものである。また創設以来、1970年代の3か月間を除き、入場料は無料である[12]。2018-2019会計年度の収入は79百万ポンド以上で、その大半は政府からの助成金であり、次いで非営利事業・営利事業の収入、企業・個人・財団等からの寄付がある[13]

大英博物館は国家機関に準じてはいるが、1963年の大英博物館法(British Museum Act 1963) 、また1992年の博物館・美術館法(Museums and Galleries Act 1992)により規律されている。

大英博物館は、25人の理事(トラスティ〈Trustee〉と呼ばれる)からなる理事会によって運営されている[14]。大英博物館長(Director of the British Museum)と、出納官(accounting officer)は、理事会によって任命される。

国際協力

世界中の博物館との連携による巡回展計画[15]や国際訓練プログラム[16]がある。

建築

4棟からなる館全体の設計者はRobert Smirke英語版(1823年)[17]。ギリシャの神殿の柱を模した柱とペディメントがある[17]

グレート・コート

中庭にあたる「グレート・コート」はガラス天井を持つ、ヨーロッパ最大の屋根付き広場である[18]フォスター・アンド・パートナーズノーマン・フォスターによって設計され、2000年にオープンした[17]

展示面積57,000平方メートル[19]

批判

収蔵品には大英帝国時代の植民地から持ち込まれたものも多く、その殆どが独立した現在では、文化財保護の観点や宗教的理由から国外持ち出しが到底許可されないような貴重な遺物も少なくない。『パルテノン・スキャンダル—大英博物館の「略奪美術品」—』(ISBN 978-4-10-603540-1) などにも示されているが、しばしば収蔵品の返還運動も起こされている。

このような事情にも絡み、イギリス国内においても「泥棒博物館」や「強盗博物館」などと批判する人は少なくない。

一方で、戦乱などによる破損や、管理されないための汚損または盗難などから保護されたこと、さらに大英博物館に一堂に会したことで研究が進んだという側面もある。 たとえばパルテノン神殿の彫刻については、13世紀に神殿がキリスト教の教会に改装された時点ですでに散逸が始まっており、その後も継続的に手厚く保護されてきたわけではない。ギリシャ政府にとっての文化財保護の観点は比較的最近提起されたものであり、大英博物館による収集がそれまでの散逸に一定の歯止めをかけたともいえる。

遺物の破壊行為

古代ギリシアの遺物の多くは白色であるが、かつては鮮やかな彩色が施されていた[20]。劣化による脱色はもちろんだが、それ以上に1930年頃に行われた博物館職員の手による色の剥ぎ取りや博物館のスポンサーの初代デュヴィーン男爵ジョゼフ・デュヴィーン英語版(美術収集家・画商)の指示により表面は削られ、色も剥ぎ取られてしまった物が多かった。近年になり、このことが公表され調査によって一部の遺物から色素の痕跡が判明しCGなどで再現する試みも行われている。

所蔵品画像

著名な所蔵品の画像を地域別に示す[21]

Category:大英博物館の収蔵品も参照
エジプト
古代近東
ギリシャ、ローマ
ヨーロッパ
アジア
アフリカ
アメリカ

来館情報

脚注

  1. ^ The British Museum Fact sheet” (PDF). 2020年10月11日閲覧。
  2. ^ Art Newspaper annual museum survey, 30 March 2021
  3. ^ History of the British Museum” (英語). The British Museum. 12 July 2018閲覧。
  4. ^ 彫刻と応用美術はヴィクトリア&アルバート博物館に、大英博物館には初期の美術、非西洋美術、版画、デッサンが収蔵されている。大英博物館では、初期の美術品、非西洋美術、版画、デッサンが展示されており、後期の美術品はテート・モダンにある。ナショナル・ギャラリーは西欧美術のナショナル・コレクションを所蔵している。テート・ブリテンは1500年以降の英国美術を所蔵している。
  5. ^ The Life and Curiosity of Hans Sloane” (英語). The British Library. 21 October 2017閲覧。
  6. ^ Admission and opening times”. British Museum (14 June 2010). 4 July 2010閲覧。
  7. ^ Tharoor, Kanishk (29 June 2015). “Museums and looted art: the ethical dilemma of preserving world cultures” (英語). The Guardian. https://www.theguardian.com/culture/2015/jun/29/museums-looting-art-artefacts-world-culture 18 April 2018閲覧。 
  8. ^ The Big Question: What is the Rosetta Stone, and should Britain return” (英語). The Independent (9 December 2009). 2 April 2020閲覧。
  9. ^ a b 佃 彦志, “大英図書館所蔵科学史関連文献集成 シリーズ1-3 The History of Science and Technology 1-3〔マイクロフィルム版〕”, 関西大学図書館フォーラム 第10号(2005), https://opac.lib.kansai-u.ac.jp/?action=common_download_main&upload_id=587 2020年10月24日閲覧。 
  10. ^ 大英博物館、創立に寄与したハンス・スローンの胸像を台座から移動。奴隷貿易との関与を問題視”. 美術手帖. 2020年10月24日閲覧。
  11. ^ 中村久司『観光コースでないロンドン イギリス2000年の歴史を歩く』高文研、2014年、167頁。ISBN 978-4-87498-548-9 
  12. ^ NHK 大英博物館 1 (1990) 、121頁
  13. ^ The British Museum - REPORT AND ACCOUNTS FOR THE YEAR ENDED 31 MARCH 2019”. 2020年10月24日閲覧。
  14. ^ NHK 大英博物館 1 (1990) 、124-125頁
  15. ^ https://www.britishmuseum.org/our-work/international/international-touring-exhibitions
  16. ^ https://www.britishmuseum.org/our-work/international/international-training-programme
  17. ^ a b c Architecture”. 大英博物館. 2020年11月7日閲覧。
  18. ^ Great Court”. 大英博物館. 2020年11月7日閲覧。
  19. ^ 諸外国の国立文化施設”. 文化庁国立文化施設等に関する検討会 (2010年9月24日). 2020年11月7日閲覧。 - 国立文化施設等に関する検討会 > (第1回)
  20. ^ NHKスペシャル『知られざる大英博物館』「古代ギリシア」の回[1]
  21. ^ 作品名称、年代等の特定は下記資料によった[要ページ番号]
    • 『大英博物館展 100のモノが語る世界の歴史』、筑摩書房、2015
    • 『大英博物館ガイドブック(日本語版)』、2003

参考文献

関連項目

外部リンク