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村松修

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発見した小惑星
(3432) 小淵沢 1986年3月7日[1][2]
(4033) 八ケ岳 1986年3月16日[1]
(4219) 中村 1988年2月19日[1]
(4458) 大泉 1990年1月21日[3]
(4634) 渋谷 1988年1月16日[1][7]
(4640) 1989年4月1日[3][7]
(5239) 麗樹 1990年11月14日[4]
(5337) 青木 1991年6月6日[5]
(5352) 藤田 1989年12月27日[3][7]
(5377) 小森 1991年3月17日[5][7]
(5379) 安部裕史 1991年4月16日[5]
(5405) ネバーランド 1991年4月11日[3]
(5473) 山梨 1988年11月5日[3]
(5489) オーベルコーヘン 1993年1月17日[3][7]
(5687) 山本忍 1991年1月13日[3][7]
(5829) 石田五郎 1991年2月11日[5]
(6138) ミゲル・エルナンデス 1991年5月14日[5]
(6308) 戎崎 1990年1月17日[3]
(6395) ヒリアード 1990年10月21日[3]
(6405) 小宮山 1992年4月30日[3]
(6464) 鏑木 1994年2月1日[3][7]
(6520) 須川 1991年4月16日[5]
(6612) 八王子 1994年3月10日[3]
(6643) 森久保 1990年11月7日[3]
(6667) 三内村 1994年3月14日[3]
(6731) 日江井 1992年1月24日[3][7]
(6830) ジョン・バッカス 1991年5月5日[5]
(6860) シムズ 1991年2月11日[5]
(6865) ダンカリー 1991年10月2日[3]
(6868) Seiyauyeda 1992年4月22日[3]
(6910) 池口 1991年3月17日[5]
(6915) 1992 HH 1992年4月30日[3]
(7068) 箕輪 1994年11月26日[3]
(7421) 草下 1992年4月30日[3][7]
(7514) 1986 ED 1986年3月7日[1][2]
(7575) 木村精二 1989年12月22日[3]
(7765) 1991 AD 1991年1月8日[3]
(7775) 泰子 1992年12月4日[3]
(7821) 1991 AC 1991年1月8日[3]
(7830) Akihikotago 1993年2月24日[3]
(8276) 重井 1991年3月17日[5][7]
(8532) 1992 YW3 1992年12月29日[3]
(8668) 里美村 1991年4月16日[5]
(8691) 悦子 1992年10月21日[3][7]
(8855) 美和 1991年5月3日[5][7]
(8876) 1992 WU3 1992年11月23日[3]
(9041) 高根 1991年2月9日[5]
(9044) 1991年5月18日[5][7]
(9190) 正子 1991年11月4日[3][7]
(9335) 1991 AA1 1991年1月10日[3]
(9844) 大谷 1989年11月23日[3][7]
(10144) 1994 AB2 1994年1月9日[3]
(10566) ZABADAK 1994年1月14日[3]
(11513) 1991 CE1 1991年2月12日[3]
(11528) 美絵 1991年12月3日[3][7]
(12337) 1992 WV3 1992年11月24日[3]
(12342) 工藤美智子 1993年1月30日[3][7]
(12735) 1991 VV1 1991年11月4日[3]
(14902) 宮入 1993年1月17日[3]
(15269) 1990 XF 1990年12月8日[3]
(15350) 長沼 1994年11月3日[3]
(15764) 1992 UL8 1992年10月31日[3]
(16599) ショーランド 1993年1月20日[3]
(17558) 1994 AA1 1994年1月4日[3]
(17563) 常義 1994年2月5日[3]
(20042) 1993 CK1 1993年2月15日[3]
(27748) ビビアン・ヘティ 1991年1月9日[4]
(27791) 麻三留 1993年2月24日[3]
(35062) 桜野小 1988年3月12日[1]
(48594) 1994 VA21 1994年11月3日[3]
(73689) 1991 FK 1991年3月17日[5]
(73782) 柳田 1994年10月14日[6]
(162011) 今王丸 1994年1月4日[3]

村松 修(むらまつ おさむ、1949年 - )は日本プラネタリウム解説者。周期彗星や多くの小惑星を共同発見したアマチュア天文家でもあり、2017年ごろから「伝説のプラネタリアン」と称される[2][3]

人物・経歴

東京都出身。高校生のときに到来した池谷・関彗星を機に天文に関心を持つ[4]東京都立工業短期大学(のちに東京都立科学技術大学、現・東京都立大学)機械科を卒業後、民間企業を経て、1974年4月、天文博物館五島プラネタリウムに技術係として就職[† 1][6]。五島プラネタリウムの学芸課長を務めた豊川秀治のもとで投影機の保守点検に携わる[6]

プラネタリウム解説者として

技術係として投影に立ち会うなかで星空解説を「門前の小僧」のごとく習得し、投影機の稼働状態の確認を兼ねて1975年ごろから解説を担当するようになる[7][8][9]。星空を実況中継することをイメージした、朗らかで軽妙な語り口による名解説ぶりで鳴らした[8][10][11][12][13][14][15][16][17]

五島プラネタリウムが2001年3月に閉館した後は、渋谷区五島プラネタリウム天文資料(渋谷区ケアコミュニティ桜が丘および旧東京都立代々木高等学校跡地、通称「しぶてん」)に移籍。五島プラネタリウムから渋谷区に寄贈された資料の管理を担当しつつ、天文普及活動を行った[7][14][18][19]

2001年10月、五島プラネタリウムと東日天文館、そして村松をモデルとしたSF小説『虹の天象儀』が瀬名秀明によって書き下ろされた[† 2][21]

2003年6月、五島プラネタリウムがあった東急文化会館の解体が決まり、旧五島プラネタリウムのドームにおいてメガスターIIを用いた特別投影の解説を担当[10]。多くの五島プラネタリウムおよび村松のファンが来場し、名残を惜しんだ[13]

渋谷区五島プラネタリウム天文資料に分解保存されていた投影機を渋谷区の新施設に展示保存するプロジェクト「旧五島プラネタリウム投影機展示保存実行委員会」[† 3][22]に参画[23][24]。投影機は渋谷区文化総合センター大和田2階に静態展示されることとなった[25]

2010年11月21日、コスモプラネタリウム渋谷の開館に伴い、同館の主任解説員に就任[† 4]。往年の名調子が渋谷のドームに復活することとなった[7][27][28][29]

2017年をもってフリーのプラネタリウム解説コンサルタントとなったが、引き続きコスモプラネタリウム渋谷で解説を担当している[2][9][† 5]

2018年12月、有楽町の地に80年ぶりに開館したプラネタリウム「コニカミノルタプラネタリア TOKYO」において、演劇形式でアクターが登場する『LIVE ACT PLANETARIA 1st. ACT“星にねがう夢”』の星空解説を監修[15]

天文家として

村松は、「天文学を体現する機械」としての投影機の整備とプラネタリウム解説に携わるなかで、天文学と天体観測への関心を深めていった[6]

1986年ごろから小淵沢町において井上傑浦田武とともに小惑星の捜索を開始[30]小淵沢小惑星番号3432)や八ケ岳(4033)、渋谷(4634)など、多数の小惑星を共同発見した[6]1988年ごろからは八ヶ岳南麓天文台に活動拠点を移し、串田嘉男と多数の小惑星を発見[31]清里高原において大友哲とも多くの成果を上げた。

1993年には串田・村松彗星を共同発見[6]日本天文学会天体発見賞を受賞[32]

1993年、シューメーカー・レヴィ第9彗星木星に1994年に衝突することを世界で最も早く予報した、中野主一の計算をサポートしたという[33][† 6]

1995年10月、日本天文学会秋季年会(新潟大学)において串田・村松彗星についてポスター発表を行った[† 7][35]。村松が作成したN体数値積分計算プログラムで串田・村松彗星の発見前の軌道を計算したところ、1952年6月に木星と0.0084AUまで接近し、一時的に木星に捕獲されていたことが判明したという[† 8]

村松が共同発見した小惑星には天文博物館五島プラネタリウムの関係者の名前が多く命名されている[1]永田美絵によれば、2001年3月の閉館に伴って、「宇宙の中ではみんないつまでも一緒にいたい」との思いから、閉館の数年前まで在籍した解説員のうち小惑星に命名されていなかった全員の名を命名提案したという[37]

脚注

註釈

  1. ^ 解説員として採用された金井三男と同期[5]
  2. ^ 村松は取材に全面協力した[20]
  3. ^ 実行委員長は最後の館長を務めた村山定男
  4. ^ 元五島プラネタリウムの永田美絵と重井美香も解説陣に加わった[26]
  5. ^ 後任として天文博物館五島プラネタリウムの後輩でもある永田美絵がチーフ解説員に就任した。
  6. ^ 中野はこの功績により、日本天文学会によってこの年にだけ設けられた天文学特別功労賞を受賞している[34]
  7. ^ 太陽系 L09c、セカンドオーサーは中野主一
  8. ^ 2008年には、串田・村松彗星が1949年から1961年まで12年間にわたって木星に補足されていたとの研究が発表されている[36]

出典

  1. ^ a b 渋谷の☆”. 2022年2月3日閲覧。
  2. ^ a b コスモプラネタリウム渋谷”. 2021年8月18日閲覧。
  3. ^ コスモプラネタリウム渋谷 [@cosmo_shibuya] (2017年12月7日). "【イベント告知】". X(旧Twitter)より2021年10月4日閲覧
  4. ^ 「楽しみながら星から学ぼう」『小さな芽』第4号、メディカルパースペクティブス、2003年11月、ISBN 4944151055 
  5. ^ 金井三男「こだわり天文夜話 第二百四十二話「五島プラネタリウム閉館20周年」」『月刊星ナビ』、アストロアーツ、2021年3月、80-81頁。 
  6. ^ a b c d e 「素顔の星空ナビゲータ4 村松修」『月刊星ナビ』、アストロアーツ、2001年3月。 
  7. ^ a b c 東山正宜「ひと コスモプラネタリウム渋谷で再び解説員を務める村松修さん」、朝日新聞、2010年12月8日。 
  8. ^ a b 「天職ですか プラネタリウム解説員 村松修さん」、東京新聞、2012年10月26日。 
  9. ^ a b NHKラジオ第1放送 ラジオ深夜便 明日へのことば「きのうの自分よりも一歩先に」
  10. ^ a b 「ひと 往年の名調子を披露する元五島プラネタリウム解説員 村松修さん」、朝日新聞、2003年6月28日。 
  11. ^ 「星なき街の館 満天にフィナーレ」、東京新聞、2000年2月29日。 
  12. ^ いしいしんじのごはん日記”. いしいしんじ (2001年10月27日). 2021年8月18日閲覧。
  13. ^ a b 青木満「さようなら、東急文化会館 復活!!五島プラネタリウム byメガスターII」『月刊天文』、地人書館、2003年9月、56-57頁。 
  14. ^ a b 「渋谷の街にプラネタリウム復活!?」『月刊星ナビ』、アストロアーツ、2005年7月。 
  15. ^ a b 「有楽町の星空で逢いましょう」『月刊星ナビ』、アストロアーツ、2019年3月、8-9頁。 
  16. ^ 「満天の星、渋谷で「中継」」、日本経済新聞、2011年6月20日。 
  17. ^ いしいしんじ「宇宙の闇から見た舞台」『月刊美楽』、夕焼け創造研究所、2021年4月、24-25頁。 
  18. ^ 「星に届け 五プラ復活の夢」、東京新聞、2004年1月8日。 
  19. ^ 「「五プラ天文資料」最後の夜間観望会」、東京新聞都心版、2010年7月8日。 
  20. ^ 田中朋子「学芸員資料ノート 瀬名秀明 小説『虹の天象儀』創作まで」『仙台文学館ニュース』第1号、仙台文学館、2009年3月、6-7頁。 
  21. ^ 瀬名秀明「虹の天象儀」、祥伝社文庫、2001年10月1日、ISBN 4396328842 
  22. ^ プラネ投影機の展示費用700万円 今週オープンの渋谷区・文化総合センター大和田に旧五島プラネタリウムの投影機を展示するための募金開始」『月刊星ナビ』、アストロアーツ、2010年6月、5頁。 
  23. ^ 「見上げてごらん 思い出星 投影機復元へ募金活動」、東京新聞夕刊、2010年5月17日。 
  24. ^ 旧五島プラネタリウム投影機展示保存実行委員会 会計報告”. 2021年8月19日閲覧。
  25. ^ 渋谷によみがえったツァイスIV型 五島プラネタリウムの投影機」『月刊星ナビ』、アストロアーツ、2011年1月。 
  26. ^ 「渋谷の星物語 再び あす新プラネタリウム開館」、東京新聞夕刊、2010年11月20日。 
  27. ^ 新プラネタリウム 渋谷に新たな「星の世界」 - YouTube. TOKYO MX. 21 November 2010.
  28. ^ 渋谷の街に9年ぶりにプラネタリウム復活(10/11/21) - YouTube. テレビ朝日. 21 November 2010.
  29. ^ コスモプラネタリウム渋谷/プラネタリウム スターリーカフェ - 国際情報マネジメント有限会社が運営するサイト・仕事を楽しむためのWebマガジン「B-plus」内のページ
  30. ^ 村松修. “小淵沢天体観測所の紹介”. 2021年8月18日閲覧。
  31. ^ 村松修. “八ヶ岳南麓天文台の紹介”. 2021年8月18日閲覧。
  32. ^ 日本天文学会天体発見賞 受賞者 - 公益社団法人 日本天文学会
  33. ^ 村松修、永田美絵 (6 February 2020). 【ゲームさんぽ天文学②】「衛星は愛い奴」たとえ太陽系が滅びようと、彼らは主人のそばを離れない - YouTube. ライブドアニュース.
  34. ^ 過去の表彰”. 日本天文学会. 2022年2月3日閲覧。
  35. ^ 日本天文学会1995年春季年会講演予稿集 太陽系セッション
  36. ^ 大塚勝仁、吉川真、伊藤孝士、デイヴィッド・アッシャー、荒木田英禎「木星の長期暫間的衛星となった準ヒルダ衛星 147P/串田-村松」『スペースガード研究』第1号、日本スペースガード協会、2008年7月。 
  37. ^ 村松修、永田美絵 (30 January 2020). 【ゲームさんぽ天文学①】プラネタリウムの人と行く、まったり宇宙旅行inユニバースサンドボックス2- YouTube. ライブドアニュース.

外部リンク