保科正寿
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永元年(1704年) |
死没 | 元文4年5月29日(1739年7月4日) |
改名 | 喜三郎(幼名)、正寿 |
別名 | 正昭(別名) |
戒名 | 活参玄道霊仙院 |
墓所 | 東京都杉並区和泉の大円寺 |
官位 | 従五位下、弾正忠 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総飯野藩主 |
氏族 | 保科氏 |
父母 |
保科正賢、高木幾右衛門娘・春覚院 保科正殷 |
兄弟 |
正殷、次男、正寿、水野忠富正室、 青山幸譚正室、保科正勝室 |
妻 | 津軽信寿娘・於染 |
子 | 清光院、正富ら |
宝永元年(1704年)、第3代藩主・保科正賢の三男として生まれる(生年には元禄15年(1702年)説もある)。異母兄で第4代藩主の正殷に嗣子が無かったため、享保2年(1717年)2月にその養子となり、享保3年(1718年)11月22日に正殷が隠居すると家督を継いだ。12月には従五位下、弾正忠に叙位・任官する。
享保4年(1719年)、享保6年(1721年)、享保7年(1722年)に和田倉門番、享保5年(1720年)、享保18年(1733年)に日光祭礼奉行、享保10年(1725年)、享保11年(1726年)、享保17年(1732年)、元文2年(1737年)に半蔵口門番、享保8年(1723年)、享保13年(1728年)、享保15年(1730年)に大坂加番、元文2年(1737年)7月に大坂定番に任じられるなど、諸役を歴任した。
元文4年(1739年)5月29日、大坂で死去した。享年36。跡を次男の正富が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 於染、慈照院 ー 津軽信寿の娘
子女
- 保科正富(次男)生母は慈照院(正室)
- 清光院