保科正徳
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永4年8月28日(1775年9月22日) |
死没 | 天保15年6月22日(1844年8月5日) |
改名 | 甚四郎(幼名)、正徳 |
諡号 | 寿山 |
戒名 | 寿山院殿高照朗月大居士 |
墓所 | 東京都杉並区和泉の大円寺 |
官位 | 従五位下、能登守、下総守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総飯野藩主 |
氏族 | 保科氏 |
父母 |
父:保科正率 母:於艶(蘭香院、黒田長邦の娘) |
妻 | 正室:内藤頼尚の娘、側室:玉樟院 |
子 | 正丕、石河貞明、娘(関長基室) |
経歴
[編集]安永4年(1775年)8月28日、第7代藩主・保科正率の長男として江戸で生まれる。寛政4年(1792年)12月、従五位下、能登守に叙位・任官する。享和2年(1802年)6月3日、父の隠居で家督を継ぐ。文化7年(1810年)6月に下総守に遷任する。大坂加番、日光祭礼奉行などの諸役を歴任した。
文化14年(1817年)3月24日、病気を理由に家督を長男の正丕に譲って隠居し、以後は江戸の広尾で余生を過ごした。文政元年(1818年)11月、寿山と号した。天保15年(1844年)6月22日に死去した。享年70。
系譜
[編集]父母
正室
- 内藤頼尚の娘
側室
- 玉樟院
子女