甲賀町五反田
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甲賀町五反田 | |
---|---|
北緯34度52分2.917秒 東経136度14分11.443秒 / 北緯34.86747694度 東経136.23651194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 滋賀県 |
市町村 | 甲賀市 |
地域 | 甲賀地域 |
面積 | |
• 合計 | 2.834547310 km2 |
人口 | |
• 合計 | 209人 |
• 密度 | 74人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
520-3423[3] |
市外局番 | 0748(水口MA)[4] |
ナンバープレート | 滋賀 |
甲賀町五反田(こうかちょうごたんだ)は、滋賀県甲賀市にある地名。
地理
甲賀市甲賀町の最南端に位置し、東は甲賀町油日、南は三重県伊賀市柘植町・三重県伊賀市小杉、西は甲賀町高嶺、北は甲賀町和田に接する。油日との境付近に五反田川が流れる。中央にJR草津線と滋賀県道4号草津伊賀線が通じる[5]。
歴史
壬申の乱で大和と近江の軍が戦った古戦場とされる[5]。886年まで古代東海道(倉歴道)が柘植方面に貫通していた[6]。和田の分郷で、中世末に和田から開拓移住し、中世末に村をなしたとも伝えられる。近江・伊賀国境付近の余野では地形に明らかな変化がなく、しばしば国境争論の場となった。1573年には和田・五反田村と伊賀の上柘植村が立会山の教会をめぐって弓矢の争いとなり、甲賀郡奉行と伊賀奉行による裁定がなされている。甲賀郡中惣と伊賀惣国の野寄合が余野付近で行われたと推測される。1585年の甲賀ゆれと水口岡山城築城によりその支配下に入ったと考えられる[6]。1600年に幕府領となった。1606年、1650年にも和田村、上柘植との境界論が起こり、明治に入ってから最終的な境界決定が行われた。
1870年(明治3年)には立川従によって8年をかけて大規模な開墾が行われた[5]。その功績をたたえ、当地に開墾顕彰碑が設置されている[5]。
世帯数と人口
2019年(令和元年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
甲賀町五反田 | 84世帯 | 209人 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 甲賀市立油日小学校 | 甲賀市立甲賀中学校 |
交通
施設
その他
日本郵便
脚注
- ^ “滋賀県甲賀市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年11月20日閲覧。
- ^ a b “令和元年 世帯数・人口統計 - 2019年10月末”. 甲賀市 (2019年10月31日). 2019年11月20日閲覧。
- ^ a b “甲賀町五反田の郵便番号”. 日本郵便. 2019年10月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年10月22日閲覧。
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1979, p. 941.
- ^ a b 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). pp. 148-149
- ^ “【小中学校】 通学区域について”. 甲賀市 (2017年4月1日). 2019年10月22日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年10月22日閲覧。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 25滋賀県』角川書店、1979年5月4日。