戦後沖縄の政党一覧
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戦後沖縄の政党一覧(せんごおきなわのせいとういちらん)では、戦後の沖縄県に存在した、または現存する政党の一覧を示す。アメリカの施政権下時代の、鹿児島県大島郡(奄美群島及びトカラ列島、上三島を除く)を含む。
奄美群島の政党
沖縄諸島の政党
- 沖縄社会党(第一次)・琉球社会党→社会党
- 沖縄民主同盟
- 沖縄人民党
- 共和党
- 1950年(昭和25年)に沖縄群島知事候補だった松岡政保派の支持者と沖縄民主同盟の支持者によって結成された。当時の沖縄群島議会において、社会大衆党に次ぐ第二党であった。沖縄諸島の帰属については「独立論」を掲げていた。1952年(昭和27年)に解散した。
宮古諸島の政党
- 宮古社会党
- 1947年(昭和22年)に結成された。党綱領として、「アメリカ合衆国に帰属し、沖縄州(アメリカ合衆国のStateとして)の実現を期す」「民主主義の確立」「資本主義と社会主義を併用した政策の実施」を掲げた。1949年(昭和24年)に当時の党委員長が軍命令違反に問われて公職追放されたことがきっかけで解散した。
- 宮古民主党
- 1946年(昭和21年)に弁護士の下地敏之が中心になって結成された。党綱領として、「民主主義の体制確立」「資本主義の社会化」「人権の保障」「労働条件の改革」「産業の機械合理化」「生活必需品の管理」「教育民主化」を掲げた。1950年(昭和25年)に解散した。
- 宮古青年党
- 1947年(昭和22年)に宮古民政府の人事に不満を持つ青年層が主体となって結成された。「人民の人民による人民のための完全なる政治の実現」「ユートピア宮古の建設」「金権政治の打破」を掲げた。1948年(昭和23年)に解散した。
- 宮古自由党
- 宮古民政府の与党として結成された。「民主政治の確立と世界人としての自由の主張」「社会政策を基調とした自由主義経済の確立」「産業合理化と振興」「文化水準の向上」を掲げた。1952年(昭和27年)に沖縄社会大衆党に合流した。
- 宮古革新党
- 1951年(昭和26年)に宮古民主党に対抗するために結成された。党綱領として、「民主主義政治の確立」「自由経済のための総合計画の作成」「民生の安定」「民主教育の徹底と文化向上」「税制改革による財政健全化」を掲げた。1952年(昭和27年)に琉球民主党に合流した。
八重山諸島の政党
- 八重山農本党
- 1946年(昭和21年)に農本主義を掲げて結成された。「配給物資の公平な配布」「旧日本軍に接収された土地の返還要求」「物価高騰の元凶である仲買人の排除」を掲げていた。しかし、党総裁が独断で八重山民主党に参加したことから、党内対立が激化し、1948年(昭和23年)に解散した。
- 八重山労働党
- 1946年(昭和21年)に結成された。元軍人への糾弾や物資を隠匿した商人や配給物資を横領した官吏への追求を行ったが、摘発によって得た隠匿物資をめぐって内紛が起き自滅した。
- 八重山民主党
- 八重山人民党→八重山自由党
全域の政党
- 琉球民主党→沖縄自由民主党→民主党→沖縄自由民主党→自由民主党
- アメリカ統治下における保守政党である。行政主席の比嘉秀平が中心になってできた「琉球民主党」から始まる。1956年(昭和31年)の比嘉秀平主席の急死がきっかけで一時分裂したが、1959年(昭和34年)に再合流して「沖縄自由民主党」となった。しかし大田政作主席(党総裁)の対米姿勢から派閥抗争が激化、西銘順治那覇市長ら反主流派が脱党し、民政クラブ→沖縄自由党を結成した。その後、松岡政保主席の時代になって、保守合同の機運が高まり1964年(昭和39年)に「沖縄民主党」となった。1967年(昭和42年)に本土の自由民主党に合わせて「沖縄自由民主党」と改称し、1970年(昭和45年)に「自由民主党沖縄県支部連合会」になった。
- 民政クラブ(院内会派)→沖縄自由党
- 1964年(昭和39年)6月に与党・沖縄自由民主党の反主流派が脱党して、院内会派「民政クラブ」を結成した。その後、同年10月に「沖縄自由党」を結成したが、12月に再合同した。
- 沖縄社会大衆党
- 沖縄社会党(第二次)→日本社会党→社会民主党
- 琉球人民党→沖縄人民党→日本共産党
- 1952年(昭和27年)に、沖縄人民党と奄美大島社会民主党が合流して結成された。「琉球人民解放運動」に挺身することを宣言した。1953年(昭和28年)の奄美群島の日本復帰に伴い、大島地方委員会が日本共産党に合流したため、「沖縄人民党」と改称した。復帰後の1973年に日本共産党に合流、「日本共産党沖縄県委員会」となった。
- 琉球国民党
- 1958年(昭和33年)に大宜味朝徳によって結成された。党是として「反共」を掲げたほか、日本復帰に反対して「琉球独立」を訴えた。しかし、大宜味自身のワンマン体質が嫌われ、ほとんど支持が得られず、大宜味の死後に自然消滅した。
- 琉球独立党→かりゆしクラブ
- 元大衆金融公庫総裁の崎間敏勝ら、初期の琉球政府幹部が中心になって結成された。1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙において、「沖縄の自主独立」を訴えたが、支持が得られず、ほどなく休眠状態になった。
- 2005年(平成17年)になって、活動を再開した。いわゆる「反米左翼」とは一線を画して活動している。
- 世界経済共同体党
- そうぞう