武蔵工業大学短期大学部
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武蔵工業大学短期大学部 | |
---|---|
大学設置/創立 | 1950年 |
廃止 | 1968年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人五島育英会 |
本部所在地 | 東京都世田谷区玉川等々力町1-2334 |
学部 |
機械科[1][2] 電気科 通信科[2] 建設科[1][2] 建築科[2] |
武蔵工業大学短期大学部(むさしこうぎょうだいがくたんきだいがくぶ)は、東京都世田谷区玉川等々力町1-2334に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、1968年に廃止された。学生募集は1965年度あたりまでか(電気科のみ)[3]。1968年3月31日廃止[4]。
概要
大学全体
- 学校法人五島育英会により運営されていた 日本の私立短期大学。短期大学制度が発足した1950年に設置された。東京都世田谷区内にキャンパスを置き、入学定員は各学科とも40名となっていた。当初は3学科を擁していたが、最終的には1学科となった。
建学の精神(校訓・理念・学是)
- 武蔵工業大学短期大学部における建学の精神:「公正・自由・自治」
教育および研究
- 設置されていた学科が機械・電気・建設の各学科であり、いずれも工学部とほぼ同類の専門教育が行われていた様子がうかがえる。
沿革
基礎データ
所在地
- 東京都世田谷区玉川等々力町1-2334
象徴
年度別学生数
- | 機械科 | 電気科 | 建設科 | 出典 |
---|---|---|---|---|
入学定員 | 40 | 40 | 40 | - |
総定員 | 80 | 80 | 80 | - |
1954年 | 男5 | 男43 | 男16 | [6] |
1955年 - 1957年 | 不明 | 不明 | 不明 | [7] |
1958年 | 男73 | 男137 女1 |
男147 女2 |
[8] |
1959年 | 男50 | 男127 女1 |
男136 女3 |
[9] |
1960年 | 男23 | 男193 | 男164 女6 |
[10] |
1961年 | - | 男191 女1 |
男137 女4 |
[11] |
1962年 | - | 男155 女1 |
男76 女4 |
[12] |
1963年 | - | 男115 | 男56 女4 |
[13] |
1964年 | - | 男76 | 男25 女2 |
[14] |
1965年 | - | 男88 女1 |
男1 | [15] |
1966年 | - | 男58 女1 |
- | [16] |
1967年 | - | 男7 | - | [17] |
教育および研究
組織
学科
専攻科
- なし
別科
- なし
取得資格について
- 測量士補資格が建設科に設置されていた。
大学関係者と組織
大学関係者組織
- 武蔵工業大学短期大学部の同窓会は、旧・武蔵工業大学およびその前身校である武蔵工業専門学校の卒業生が主な会員である同窓会組織と同じ武蔵工業会に属する。
大学関係者一覧
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歴代学長
対外関係
関係校
系列校
卒業後の進路について
編入学・進学実績
- 武蔵工業大学(現在の東京都市大学)への編入学制度があったものとみられる。
脚注及び出典
- ^ a b c d e f 1961年度以前に募集停止。
- ^ a b c d e f g h i j 『武蔵工業大学'61』p25より。教育政策研究所教育図書館所蔵。なお、登録上は『武蔵工業大学要覧』(1961年)となっている
- ^ 年度別学生数からの推測。
- ^ a b 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』269頁より。
- ^ 『短期大学一覧』1950年度
- ^ 昭和30年度版『全国学校総覧』1375頁(以下、『総覧』と略する。)
- ^ この年度における『総覧』が存在しないため。
- ^ 昭和34年度版『総覧』21頁
- ^ 昭和35年度版『総覧』19頁
- ^ 昭和36年度版『総覧』23頁
- ^ 昭和37年度版『総覧』23頁
- ^ 昭和38年度版『総覧』26頁
- ^ 昭和39年度版『総覧』28頁
- ^ 昭和40年度版『総覧』28頁
- ^ 昭和41年度版『総覧』31頁
- ^ 昭和42年度版『総覧』33頁
- ^ 昭和43年度版『総覧』33頁