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ヴィルヌーヴ=ル=ロワ

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2021年8月2日 (月) 00:16; フチ坊 (会話 | 投稿記録) による版 (出身者)(日時は個人設定で未設定ならUTC

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Villeneuve-le-Roi

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) ヴァル=ド=マルヌ県
(arrondissement) クレテイユ郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 94077
郵便番号 94290
市長任期 ディディエ・ゴンザレズ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) メトロポール・デュ・グラン・パリ
人口動態
人口 18,457人
2008年
人口密度 2 197人/km2
住民の呼称 Villeneuvois, Villeneuvoises
地理
座標 北緯48度44分00秒 東経2度25分00秒 / 北緯48.733333度 東経2.416667度 / 48.733333; 2.416667座標: 北緯48度44分00秒 東経2度25分00秒 / 北緯48.733333度 東経2.416667度 / 48.733333; 2.416667
標高 平均:m
最低:30 m
最高:91m
面積 3.67km2
Villeneuve-le-Roiの位置(フランス内)
Villeneuve-le-Roi
Villeneuve-le-Roi
公式サイト villeneuve-le-roi.fr
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ヴィルヌーヴ=ル=ロワVilleneuve-le-Roi)は、フランスイル=ド=フランス地域圏ヴァル=ド=マルヌ県コミューン

地理

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パリの南東約15kmに位置する。東をセーヌ川、西をオルリー空港と接する。空港のある高台に位置し、セーヌ川に向かって市街は伸びていく。

近接するヴィルヌーヴ=サン=ジョルジュオルリーとは違い、都市化された住宅地となっている。

交通

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  • 鉄道 - RER C線ヴィルヌーヴ=ル=ロワ駅
  • バス - バス・オプティーユ、ノクティリアン各社の路線がある[1][2]

歴史

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1860年、ガリア時代の村跡と陶器の破片が発見された。その場所にあったメンヒルから、人の定住が推測されている。

12世紀、開拓者である聖職者たちが森に移り住みVilla Novaという村をつくった。当時の村の所有者はサン=ヴィクトル修道院であった。大勢の農奴たちがぶどう園で働き、彼らは1248年に聖王ルイにより賦役から解放された。最初のヴィルヌーヴ領主はフィリップ2世によって土地を与えられたジャン・デと見られる。カルトゥジオ会に分割された時代をへて、1596年に領地を購入したのがマチュー・マルセルであった。17世紀、ギヨーム・デュ・フェアによって城が築かれた。1683年に新たな領主となった大蔵卿クロード・ル・ペレティエの時代に城が完成、ル・ペレティエ城と呼ばれた。

ヴィルヌーヴの所領を購入したルイ15世ショワジー=ル=ロワまでの平原を狩猟地とした。ルイ16世革命までこの地で狩をしていた。

普仏戦争の際、プロイセン軍によって占領された。19世紀終わり、パリ住民をひきつける都市化計画が示された。たとえば、1898年以降フェザンドリー公園の102エーカーが分譲された。

第一次世界大戦後、農地が建設用地に転用された。この時代から都市人口が急激に増加し、ヴィルヌーヴの領域は次第にオルリー空港の拡張と建設で侵食されていった。農地の消滅は穀物栽培やワイン生産の終焉を意味した。数多くの工場が建ち、ブルターニュ出身者が多くを占める労働者が増えた。

姉妹都市

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出身者

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脚注

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  1. ^ L'Athis Cars à Villeneuve-le-Roi
  2. ^ Les lignes de bus intérieures à Villeneuve-le-Roi