ズビグニェフ (ポーランド公)
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ズビグニェフ Zbigniew | |
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ポーランド大公 | |
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在位 | 1102年 - 1107年 |
出生 |
1070年? |
死去 |
1112年 |
家名 | ピャスト家 |
王朝 | ピャスト朝 |
父親 | ヴワディスワフ1世ヘルマン |
ズビグニェフ (Zbigniew、1070年? - 1112年)は、ポーランド大公(ポーランド王に列せられている)。
生涯
[編集]1070年頃、ヴワディスワフ1世ヘルマンの第一子として生まれた。母親は氏名不詳の愛妾であり、ズビグニェフは宮廷から遠ざけられ、12年あまりをドイツのクヴェードリンブルク修道院で過ごした。1093年、彼は父と敵対する強力なヴォイヴォド、シエチェクによってポーランドへ連れてこられた。1098年、ズビグニェフと異母弟ボレスワフは、シエチェクを流刑にした父親より優勢となり、父からそれぞれ領土を分割して与えられた。1102年から1106年(または1107年)の間、ズビグニェフはポーランド大公であった。
1107年、ズビグニェフは異母弟ボレスワフ3世によって国から追放され、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の支援を求めてドイツへ逃げた。1109年に行われた皇帝のポーランド遠征にズビグニェフも加わるが、フントシュベルトの戦いでボレスワフ3世に退けられた。
1112年、ズビグニェフは罠だと知らずにポーランドへおびき寄せられた。彼は両目を潰されてのち死んだという。