1983年ドイツ連邦議会選挙
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1983年ドイツ連邦議会選挙(1983ねん ドイツ れんぽうぎかい せんきょ)は、ドイツ連邦共和国(当時西ドイツ)の下院に該当する連邦議会(Deutscher Bundestag)の議員を選出するため1983年3月に行われた選挙である。
概要
[編集]前年の1982年10月1日、当時のヘルムート・シュミット首相(SPD)に対する建設的不信任[1]成立で後任の首相に就任したコール首相は、議会における安定多数を確保し、政治的基盤を固めるために、連邦議会議員の任期を一年前倒しする形で連邦議会を解散[2]したことで行われた選挙である。連邦議会史上初めて成立した「建設的不信任投票」によって、SPD+FDP政権から、CDU/CSU+FDP政権への移行に対する賛否を問う国民投票的性格が強い選挙となった。
選挙データ
[編集]- 連邦首相:ヘルムート・コール(キリスト教民主同盟)
- 与党:キリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)+自由民主党(FDP)
- 連邦議会定数:496議席……選挙毎に生じる超過議席のために変動あり(表決権がない西ベルリンの分を除く)
- 選挙制度:小選挙区比例代表併用制(小選挙区制248議席)
- 全体の議席は第2投票(政党への投票)の得票に応じて各党に比例配分される。ただし、少数政党の乱立を防止する観点から、①全国集計で有効投票5%以上を獲得、②第1投票(選挙区候補者への投票、最多得票を得た候補が当選)で、3名以上の当選を出した。いずれかの要件を満たした政党にのみ配分されるようになっている。尚、選挙区議席が比例配分議席を上回った場合は超過議席となる。
→詳細は「ドイツ連邦議会 § 選挙制度」を参照
- 有権者数:44,088,935名
選挙結果
[編集]党派 | 候補者投票 | 政党投票 | 議席 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
得票 | % | 得票 | % | 全体議席 | (選挙区) | ||
キリスト教 民主・社会同盟 (CDU/CSU) |
キリスト教民主同盟 (CDU) |
15,943,460 | 41.0 | 14,857,680 | 38.2 | 191 | 136 |
キリスト教社会同盟 (CSU) |
4,318,800 | 11.1 | 4,140,865 | 10.6 | 53 | 44 | |
ドイツ社会民主党 (SPD) |
15,686,033 | 40.4 | 14,865,807 | 38.2 | 193 | 68 | |
自由民主党 (FDP) |
1,087,918 | 2.8 | 2,706,942 | 7.0 | 34 | 0 | |
緑の党 (GRÜNE) |
1,609,855 | 4.1 | 2,167,431 | 5.6 | 27 | 0 | |
合計 | 498 | 248 |
- 出典:Wahl zum 10.Deutschen Bundestag am 06.März 1983
- 超過議席はSPDの2議席
概要部分でも書いたように、建設的不信任投票の成立によって政権交代した事に対する賛否を問う性格が強い選挙となったが、CDU/CSU+FDPの連立政権与党が勝利を収めることができた。また、この選挙で特徴付けられることとして、環境政党である「緑の党」が2回目の挑戦で5%条項を突破し、初めて連邦議会における議席を獲得したことで、1961年以降続いてきたCDU/CSUとSPD及びFDPによる「3党制」に終止符が打たれたことが挙げられる(前回1980年の選挙では1.5%)。
脚注
[編集]- ^ ドイツにおいては、政治の安定を図る観点から、連邦首相を不信任するためには後任となる首相を新たに議会で選出する必要があるため(基本法67条)、不信任を出しにくい仕組みとなっている。
- ^ 信任動議の否決を受けた基本法68条に基づく解散で、1972年の時に続いて、2回目となった。尚、この時与党議員のほとんどを棄権させて信任動議を野党に「否決」させたが、このような解散手法に対し、基本法に違反するとして、憲法裁判所に訴えが提起された。最終的に信任案否決は4対3の僅差で認められたが、首相の議会解散権については「首相が議会多数派の継続的信任に支えられた政治をもはや意味あるかたちで行いえないほど、連邦議会における政治的力関係が首相の行為能力を損ない、麻痺させ」るような場合にのみ、信任動議否決に基づく解散が認められるとした。参照:ドイツ現代史研究会ニューズレター第3号(2005年7月)(PDFファイル)