コンテンツにスキップ

武田信照

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。庚寅五月 (会話 | 投稿記録) による 2019年9月8日 (日) 15:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンク: +{{愛知大学学長}}、重複する{{succession box}}除去)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

武田 信照(たけだ のぶてる、1938年昭和13年)7月 - )は、日本経済学者。専門は、経済学史。愛知大学第14代学長南開大学名誉教授経済学博士

概要

株式会社の学説上の発展についてを主な研究対象とする。1969年から2009年まで愛知大学に勤務。1986年大阪市立大学より経済学博士号を授与。

愛知大学においては、大学院経済学研究科長、法経学部経済学科長、経済学部長、理事を歴任[1]1999年から2期8年にわたり理事長ならびに学長を務めた。

人物

長崎県佐世保市出身。大阪市立大学では福井孝治飯田繁の指導を受ける。1969年に専任講師として愛知大学法経学部に着任。のち助教授、教授となる。

1989年に所属する法経学部が法学部、経済学部、経営学部の3学部に分離。武田は経済学部に配属し、初代学部長に就任。

1999年、愛知大学学長、理事長となる。2003年に再選。

学長在任中は、法科大学院2004年)・会計大学院2006年)の両専門職大学院の設置をはじめ、副学長制度の導入、車道校舎(名古屋市東区)の再開発など教学体制の充実に尽力。

2003年に中国で発生したSARSに当たっては、当時中国・天津市に留学していた現代中国学部生全員の即時帰国を決断し、日本航空との交渉のわずか3日後に総勢204名の帰国を実現させる[2]。この対応に対しては、「膨大な経費を顧みず、学生の安全確保を最優先したもの」として評価する声もある[3]

2009年、定年を迎え愛知大学を退職。名誉教授となる。

学外機関では、日本私立大学連盟理事、霞山会理事、豊橋市国際交流協会理事などを歴任。

座右の銘は「ねばり強く」、趣味は囲碁と山歩き[4]中日ドラゴンズで活躍したプロ野球選手である岩瀬仁紀のゼミの指導教授でもある[5]

略歴

所属学会

著書

単著

  • 『価値形態と貨幣 - スミス・マルクス・ヒルファディング - 』(1983年/梓出版社
  • 『株式会社像の転回』(1998年/梓出版社)
  • 『経済学の古典と現代』(2006年/梓出版社)
  • 『近代経済思想再考 経済学史点描』(2013年/ロゴス社

共著

  • 平尾敏)『経済学史』(1973年/杉山書店
  • 種瀬茂富塚良三浜野俊一郎〔編〕)『資本論体系2 - 商品・貨幣』(1985年/有斐閣
  • (マルクス・カテゴリー事典編集委員会〔編〕)『マルクス・カテゴリー事典』(1998年/青木書店
  • 見城幸雄先生頌壽記念事業會〔編〕)『法制と文化』(1999年/愛知大學文學會)
  • (愛知大学東アジア研究会〔編〕)『シュムペーターと東アジア経済のダイナミズム』(2002年/創土社

脚注

  1. ^ 愛知大学広報課(1999)『愛知大学通信 第136号』
  2. ^ 愛知大学現在中国学会(2008)『現代中国学部 挑戦の10年 1997-2007』
  3. ^ 岡田春恵田代眞人(2003)『感染症とたたかう インフルエンザとSARS』(岩波書店)
  4. ^ 愛知大学広報課(2003)『愛知大学通信 第158号』
  5. ^ 愛知大学広報課(2005)『愛知大学通信 第166号』

外部リンク