平岸村

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麻畑村から転送)
ひらぎしむら
平岸村
廃止日 1902年4月1日
廃止理由 豊平村と合併
現在の自治体 札幌市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道 札幌支庁
札幌郡
隣接自治体 豊平村月寒村札幌区、その他
平岸村役場
所在地 北海道
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開拓当初の平岸村。豊平から真駒内への道を望む。

平岸村(ひらぎしむら)は、かつて北海道石狩国札幌郡にあった。現在の札幌市域の南側に含まれる。

1871年(明治4年)に入植が始まり、翌1872年(明治5年)開村。初期には麻畑村とも称した。村域は現在の札幌市豊平区平岸周辺ばかりでなく、豊平川の上流部、現在の南区定山渓一帯、まで含む広い領域だった[1][2][3]

「平岸」の地名は、アイヌ語の「ピラ・ケ」(崖・(の)端)に由来するとされる[4][5]

概要[編集]

1871年(明治4年)に始まる平岸地域への入植のため平岸街道(現在の平岸通)、平岸用水などが開削された[1]。1879年(明治12年)にはお雇い外国人エドウィン・ダンの提案で真駒内用水も開かれた。入植者たちは当初、村の主産業としての栽培を進めており「麻畑村(あさはたむら)」とも称された[注 1]。平岸村は国内で初めてヨーロッパ種のリンゴが実った地ともいわれ、リンゴ栽培が広がった[12]。1884年(明治17年)頃までには海外にも輸出される「平岸リンゴ」の産地として知られていた[1]

寺社[編集]

村内の神社は『新札幌市史』によると、創建の古い順に、中の島神社(1877年頃創建)、花岡神社(1882年)、石山神社1885年)、のちに相馬神社へと発展する札幌神社遙拝所(1895年[注 2]があった。

村内の仏教寺院は、浄土宗長専寺(1896年創建)[15][16]があった[17]

領域[編集]

平岸村の領域は、現在の札幌市豊平区南区の2区にまたがっていた。

現在の札幌市豊平区
平岸美園中の島
現在の札幌市南区
澄川真駒内石山常盤藤野簾舞砥山豊滝定山渓

沿革[編集]

文献案内[編集]

代表的な郷土史誌として入植・開村110周年を記念した『平岸百拾年』(1981年)がある[25]。同書の編集責任者を務めた平岸出身の作家澤田誠一はのちに、父祖三代にわたって平岸を描く小説『平岸村』(2005年)も上梓している[26]。また、『道新りんご新聞』の連載記事「平岸の歴史を訪ねて」の一部がWEBサイト「道新りんごステーション」で公開されている[注 5]関連文献欄も参照。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 入植者の故地水沢の名産であった漁網の生産を目指して主産業として麻(大麻)の栽培を計画したという[6]1875年(明治8年)には冬期の副業とするため水沢から漁網製作を教える職人を招いており、明治初期には村は良質な麻の産地として知られたが、入植から10年を経た頃には連作による地力の低下もあって麻の栽培は衰えたという[7]。麻畑村から平岸村への改称時期については、平岸郷土資料館[8]を訪れたブログ記事などに1875年(明治8年)に平岸村に改称されたとする言及が散見されるが[6]、『新札幌市史』第2巻は1871年(明治4年5月)に改称したと記しており[9]、不詳。平岸小学校の開校80周年を記念して編纂された『郷土誌 ひらぎし』(1969年)のp. 50には、「(..) 明治のはじめから、平岸村に大麻が植えられ、明治の中ごろから亜麻も植えられたので、平岸村を麻畑村とよんだときがありました。/手紙も“札幌郡平岸村アサハタ”としてとどけられました。私たちの〔平岸小学校〕校歌にも、麻畑ということばがでてきます。また今でも、古い電柱に、麻畑という字をみることができます。」と記されているという[10]。現在も平岸小学校校歌の第2番の歌詞には「麻畑と よばれたむかし (..)」と見え、また電柱に「麻畑」の名称が用いられているという[11]
  2. ^ 札幌神社は現在の北海道神宮。『新札幌市史』第2巻が1895年(明治28年)の遙拝所設置に至る経緯を史料を用いて解説している[13]。ただし、平岸村合併後の1908年(明治41年)に神社創立を認可される相馬神社の由来記では、1871年(明治4年)の平岸村入植とほぼ同時に札幌神社の遙拝所が設置されたことになっている[14]
  3. ^ 入植者を65戸とする典拠もある[18]。内訳は41戸が水沢岩手県) 出身(うち水沢藩士23戸)、残りは青森、秋田、宮城、岩手の人びとだったという[18]
  4. ^ 現在、旧札幌農学校第4農場を所管する北海道大学生物生産研究農場のWEBサイトによれば、1888年(明治21年)に当該農場の所管を札幌農学校が北海道庁から引き継いだ時点では札幌農学校「第3農園」(札幌郡平岸村簾舞)と呼称されており、7年後の1895年(明治28年)に札幌農学校が文部省直轄学校となった際に「第4農場」と改称したという(第1農場には旧札幌育種場が宛てられた)[22]。なお、この第4農場は小作によって開墾された農場であり、その発展の様子は『新札幌市史』第2巻に窺える[23]
  5. ^ 発行元は北海道新聞永田販売所、著者は伴野卓磨。北海道新聞朝刊折り込み(札幌市平岸地域配布)の『道新りんご新聞』連載記事。自然史編、縄文・古代史編、入植編、開拓編、近代編、りんご編から構成。2023年4月現在、自然史編から入植編の一部がpdf提供されている[27]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 由来・日因縁・ミニヒストリー : 第31回 平岸商店街振興組合”. さっぽろわくわく商店街 (2006年2月28日). 2023年4月4日閲覧。
  2. ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第2巻 通史2 : 第六編 道都への出発 : 第三章 周辺農村の発展と農業の振興 : 第一節 移民の増大と農村 : 一 諸村の発展 : 平岸村の開拓の進展”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1991年10月). 2023年4月7日閲覧。 “平岸村は豊平川の上流域の定山渓までを村域とする広い範囲にわたっていたが、この時期になると石山、簾舞の方面まで開拓が進展していった。”
  3. ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第3巻 通史3 : 第七編 近代都市札幌の形成 : 第二章 諸町村の近代化と行財政 : 第二節 ムラの変貌と近代化II : 二 豊平村・豊平町 : 大字平岸村”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1994年3月). 2023年4月7日閲覧。 “大字平岸村は豊平川上流域まで含む広域であったが、〔明治〕33年〔1900年〕の戸数は338戸、人口は1765人であった。33年に平岸村に公有地を審議する評議員が設置された時に、平岸村では本村、中嶋、東裏、山ノ上、真駒内、石山、簾舞、農学地、盤ノ沢の各地区から選出されており(『豊平村治留』)、以上の9地区に分けられていたことがわかる。”
  4. ^ アイヌ文化情報発信!コラム : 第29回 「崖(がけ)」をあらわす「平」”. 北海道立アイヌ民族文化研究センター (2014年7月4日). 2023年4月4日閲覧。
  5. ^ ブラタモリ沖縄・首里編に見る”平岸”の語源”. 道新りんごステーション. 北海道新聞永田販売所 (2016年2月28日). 2023年4月4日閲覧。
  6. ^ a b 伴野卓磨 (2016年8月25日). ““麻畑村”” (動画). 道新りんご新聞 - YouTube. YouTube. 2023年4月9日閲覧。
  7. ^ 伴野卓磨 (2015年3月 - 9月). “平岸の歴史を訪ねて : 入植編”. 道新りんごステーション. 北海道新聞永田販売所. 2023年4月9日閲覧。 ※「第23回 麻畑村」(2015/5/15号)pdf参照。
  8. ^ 平岸郷土史料館”. 札幌市. 札幌市役所. 2023年4月9日閲覧。
  9. ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第2巻 通史2 : 第五編 札幌本府の形成 : 第一章 札幌本府の建設 : 第四節 初期移民と村落の形成 : 三 辛未移民の入植 : 札幌への到着”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1991年10月). 2023年4月7日閲覧。 “開拓使から岩手、宮城などへ移民募集に派遣された広川信義大主典が、〔明治〕4年〔1871年〕2月に水沢に入り人員の選定・除籍などの手続を行い、間もなく3班に分かれ水沢を出発する。第1班は16戸54人が2月26日、第2班16戸50人が3月1日、第3班15戸42人が3月4日にそれぞれ出発している(『札幌市史』第7巻200頁)。〔水沢からの入植は〕合計47戸、146人であるが史料により戸数、人数に少し相違がみられる。(..) 合計62戸で一村が形成され、当初は麻畑村と称されたが、間もなく5月に平岸村と改称になる。”
  10. ^ keystonesapporo(札幌建築鑑賞会) (2016年02月13日). “麻畑村” ttp://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-569.html . 札幌時空逍遥. 2023年4月9日閲覧。
  11. ^ (伴野卓磨) (2016年8月25日). “平岸の旧地名“麻畑村”の痕跡を探る”. 道新りんごステーション. 北海道新聞永田販売所. 2023年4月7日閲覧。
  12. ^ (伴野卓磨) (2016年3月13日). “なぜ平岸はりんごの産地となったのか? キーワードは”平岸の地質と気質””. 道新りんごステーション. 北海道新聞永田販売所. 2023年4月4日閲覧。 ※2016年3月12日「平岸の歴史とリンゴ」講演会(札幌建築鑑賞会 主催)のレポート。講師は齋藤健一(弘前大学名誉教授)。
  13. ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第2巻 通史2 : 第六編 道都への出発 : 第六章 宗教組織の確立と信仰 : 第一節 札幌神社の昇格と公認神社の急増 : 三 神社等の増加と公認神社の急増 : 神社等の増加”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1991年10月). 2023年4月7日閲覧。 ※表-2「明治32年までの創立神社(民社)」を付す。
  14. ^ 相馬神社”. 北海道神社庁公式ホームページ. 2023年4月4日閲覧。 “明治4年〔1871年〕3月岩手県水沢の旧藩士を主体とする65戸203人の入植者が、現在地(平岸天神山)を神社予定地としてその筋の貸し付けをうけ札幌神社の遥拝所として祭事を執行。”
  15. ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第2巻 通史2 : 第六編 道都への出発 : 第六章 宗教組織の確立と信仰 : 第二節 寺院の活動と村落部寺院等の設立 : 二 村落部の寺院・説教所 : 長専寺の場合”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1991年10月). 2023年4月7日閲覧。 “〔明治〕29年〔1896年〕10月に平岸村民から「浄土宗説教所ヲ一寺ニ引直シ寺号公称願」が提出されたが、この中で「現今(同村は)250余戸に至ると雖ども村内に未た寺院無之、殊に私共は浄土宗信仰に有之候処、同(石狩)国札幌区南六条西3丁目に於て浄土宗新善光寺有之候得共、近きは壱里半遠きは5、6里を隔て、業務繁劇の為め月1回の仏参も不出来、殊に老幼の輩は礼仏聞法容易ならず、将祖先の弔祭、新之葬儀に際しても意の如く行ふ事不能」(『平岸百拾年』)と、同宗寺院との距離の問題をより具体的に記している。” ※引用部分の表記を改めた。
  16. ^ 浄土宗 長専寺”. 浄土宗 長専寺 | 札幌市豊平区平岸 浄土宗のお寺です。. 2023年4月7日閲覧。
  17. ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第2巻 通史2 : 第六編 道都への出発 : 第六章 宗教組織の確立と信仰 : 第二節 寺院の活動と村落部寺院等の設立 : 二 村落部の寺院・説教所 : 村落部寺院の創立”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1991年10月). 2023年4月7日閲覧。 ※表-3「村落部寺院設立一覧(明治19〜32年)」を付す。
  18. ^ a b 伴野卓磨. “平岸の歴史を訪ねて : 入植編”. 道新りんごステーション. 北海道新聞永田販売所. 2023年4月4日閲覧。 ※「第21回 開拓風景(2)」(2015/4/15号)pdf参照。
  19. ^ エドウィン・ダン記念館 : ダンの往時を偲ぶ展示室”. 地域情報 札幌の歴史・文化情報館. 2023年4月4日閲覧。
  20. ^ 蜂谷 涼北海道に曙をもたらしたエドウィン・ダン」(pdf)『ほっかいどう学 美味しいミルクの生まれるところ』、北海道開発協会(協力 国土交通省北海道開発局)、2021年3月、7-12頁。 
  21. ^ 真駒内用水路の父 エドウィン・ダン”. 農林水産省. 2023年4月7日閲覧。
  22. ^ 沿革 | 概要”. 北海道大学生物生産研究農場. 北海道大学 (2011年). 2023年4月7日閲覧。
  23. ^ 札幌市教育委員会: “新札幌市史 第2巻 通史2 : 第六編 道都への出発 : 第三章 周辺農村の発展と農業の振興 : 第一節 移民の増大と農村 : 一 諸村の発展 : 平岸村の開拓の進展”. 札幌市中央図書館 - 新札幌市史デジタルアーカイブ. 札幌市 (1991年10月). 2023年4月7日閲覧。 “簾舞は〔明治〕28年〔1895年〕3月に札幌農学校の第四農場(647町)がおかれ、この年27戸の小作が入場したのをはじめとし、農場の小作戸が大部分をしめていた。『東北帝国大学農科大学農場成績報告』によると、32年には43戸、41年には68戸の小作を数えていた。また31年〔1898年〕には御料局の御料農場もおかれ、盤の沢には12戸の小作が入地しており(道毎日〔北海道毎日新聞〕31年12月2日付)、大正4年〔1915年〕には農地650町余、小作185戸に達していた(『簾舞沿革志考』)。簾舞は32年には戸数46、人口252とされていたが、農学校や御料農場の拡充にともない戸数も年々増加していった。”
  24. ^ 学校の歴史”. 札幌市立平岸小学校 (2014年). 2023年4月4日閲覧。
  25. ^ 平岸百拾年 (平岸百拾年記念協賛会): 1981|書誌詳細|国立国会図書館サーチ、2023年4月4日閲覧。
  26. ^ 平岸村 著:澤田誠一”. エコ・ネットワーク eco network. エコ・ネットワーク(環境市民団体) (2005年). 2023年4月4日閲覧。 “道内文学者中、最古参(85歳)の作者が古里・平岸の開村から現代までを、祖母の昔語り的手法を軸に活写。自在で飄々とした文章が史実と追憶の糸を見事に ない合わせる。都市化の波に洗われ姿を消した札幌の一大リンゴ産地・平岸。その原風景とそれを取り巻く多彩な人間模様が小説から甦る。”
  27. ^ (伴野卓磨) (2016年3月13日). “平岸の歴史を訪ねて”. 道新りんごステーション. 北海道新聞永田販売所. 2023年4月4日閲覧。

参考文献[編集]

関連文献[編集]

  • 金山セイ子(口述) 著、下本村農事実行組合 編『平岸村開拓史』。  ※『新札幌市史』に引用あり。
  • 平岸小学校開校80周年記念祝賀協賛会 編『郷土誌ひらぎし』平岸小学校開校80周年記念祝賀協賛会、1969年9月。 
  • 平岸小学校開校90周年記念協賛会 編『郷土誌ひらぎし 第2号』平岸小学校開校90周年記念協賛会、1979年9月。 
  • 平岸小学校開校百周年記念事業協賛会 編『風雪百年』平岸小学校開校百周年記念事業協賛会、1989年11月。 
  • 澤田誠一 編『平岸百拾年』平岸百拾年記念協賛会、1981年10月。 
  • 平岸開基120年記念会 編『平岸百二十年』平岸開基120年記念会、1990年9月。 
  • 澤田誠一『平岸村』北海道新聞社、2005年10月。ISBN 4-89453-342-1 

関連項目[編集]

  • 平岸 - 現在の北海道札幌市豊平区平岸。旧・平岸村の一部。
  • 豊平区 - 現在の北海道札幌市豊平区。旧・平岸村の一部を含む。
  • 南区 - 現在の北海道札幌市南区。旧・平岸村の一部を含む。
  • 平岸通 - 旧・平岸街道を基礎とする。
  • 平岸リンゴ - 名産だった。
  • 留守氏 - 平岸村入植・開村の中心を担った水沢伊達氏。
  • 美泉定山 - 僧侶。定山渓(常山渓)の由来となり、平岸街道の整備にも力を尽くしたという。
  • 澤田誠一 - 郷土史誌『平岸百拾年』の編者、小説『平岸村』の著者。