駒井政直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
駒井昌直から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動

駒井 政直(こまい まさなお、天文11年(1542年) - 文禄4年6月8日1595年7月14日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将甲斐武田氏の家臣。父は駒井高白斎。孫三郎。名は昌直とも。戒名・全可。右京亮右京進。子に親直

武田信玄勝頼の2代に仕える。譜代家老衆の侍大将として、55騎と在郷の近習50騎の合わせて105騎を率いた。永禄6年5月晦日には高野山成慶院で父・高白斎の供養を行っている。高白斎と同様に信濃諏訪郡との取次を務めている。『甲陽軍鑑』によれば、永禄13年(1570年)、駿河国深沢城静岡県御殿場市)の城代に任命され、駒井宮内大輔・小山田大学助らと在城する。

天正10年(1582年)3月の甲州征伐によって武田氏が滅亡した後は、徳川家康に降り榊原康政に属して武田遺臣の代表格となり、家康に対する忠誠を誓った「天正壬午起請文」の提出にも携わっている。徳川家康の関東移封に伴い甲斐を離れ、天正19年(1591年)7月、上野国那波郡(現在の伊勢崎市)に1500石を領す。[1]

文禄4年(1595年)6月8日、死去。享年54。墓所は政直開祖と伝わる那波郡連取村(群馬県伊勢崎市)の竹芳寺。

子に親直がおり、子孫は旗本として存続している。娘は跡部昌秀室となっている。

脚注[編集]

  1. ^ [1]駒井氏陣屋