養老公園
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座標: 北緯35度16分58秒 東経136度32分59.4秒 / 北緯35.28278度 東経136.549833度
養老公園 | |
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上流に養老の滝を有する養老公園の滝谷 | |
分類 | 都市公園 |
所在地 | |
座標 | 北緯35度16分58秒 東経136度32分59.4秒 / 北緯35.28278度 東経136.549833度 |
面積 | 78.5 ha |
設計者 | (1912年改良設計)本多静六 [1], (1915年改修)長岡安平 |
設備・遊具 | 名跡・施設を参照 |
養老公園(ようろうこうえん)は、岐阜県養老郡養老町にある公園(岐阜県営都市公園)。
年表
[編集]養老の歴史
[編集]- 717年(養老元年) - 美濃国にある「若返りの水」の噂が都にもたらされ、元正天皇が醴泉に行幸。
- 718年(養老2年) - 元正天皇が再び養老に行幸。
- 740年(天平12年) - 聖武天皇が養老に行幸。
- 1252年(建長4年) - 養老の孝子伝説を収録した十訓抄が編纂される。
前史
[編集]- 1765年(明和2年)~1784年(天明3年) - 岡本喜十郎による養老温泉開発。旅館の千歳楼が開業。
- 1815年(文化12年) - 田中大秀と泰鼎による養老美泉論争が勃発。
- 1879年(明治12年) - 松方正義大蔵卿が小崎利準岐阜県令と養老を来訪。渋谷代衛が偕楽社を設立。
養老公園開設後
[編集]- 1880年(明治13年)10月17日 - 太政官令により養老公園を開設。
- 1892年(明治25年) - 多芸郡に移管。
- 1897年(明治30年) - 養老郡に移管。
- 1910年(明治43年) - 皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が養老に行啓。
- 1923年(大正12年) - 岐阜県に移管。
- 1956年(昭和31年) - 養老公園(広域公園)を都市公園として計画決定。
- 1965年(昭和40年) - 養老公園第1次事業(約30ヘクタール整備)。
- 1974年(昭和49年) - 養老公園第2次事業(約24ヘクタール整備)。
- 1978年(昭和53年) - 養老山系総合開発計画立案。
- 1979年(昭和54年) - こどもの国オープン。
- 1981年(昭和56年) - 養老の滝付近の斜面崩壊。梁川星巌や養老改元詩碑などが埋没。
- 1985年(昭和60年) - 養老公園第3次事業(約22ヘクタール整備)。
- 1990年(平成2年) - 養老パークゴルフ場オープン。
- 1994年(平成6年) - 養老パターゴルフ場オープン。
- 1995年(平成7年)10月4日 - 養老天命反転地オープン。
- 1997年(平成9年) - 養老天命反転地記念館・養老天命反転地オフィス完成。
- 1998年(平成10年) - 楽市楽座。養老オープン。
- 2005年(平成17年)9月1日 - 指定管理者制度を導入。
施設
[編集]- 養老の滝 - 落差32m・幅4mの滝。日本の滝百選。
- 養老神社 - 菊理媛神などを祭神とする神社。
- 養老寺 - 真宗大谷派の寺院。
- 千歳楼 - 1764年(宝暦元年)創業の旅館。本館を含む3棟が登録有形文化財。
- 養老天命反転地 - 荒川修作とマドリン・ギンズによる構想を基にした現代美術作品。
- 岐阜県こどもの国
- 養老パークゴルフ場
- 養老パターゴルフ場
- テニスコート
- 楽市楽座・養老
- 養老キャンプセンター - キャンプおよびバーベキュー場。
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芝生広場
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千歳楼