飯入根

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飯入根(いいいりね)は『日本書紀』等に伝わる古代日本の豪族。『古事記』には彼に関する記載は存在せず、出雲建倭建命によって同様の行為で倒された、と伝えている。

概要[編集]

日本書紀』巻第五によると、飯入根は崇神天皇の「皇命(おおみこと)」により兄の出雲振根(いずも の ふるね)の不在中に、「出雲大神(いずもおおみかみ)の宮」に収めてあった「武日照命(たけひなてるのみこと)の天(あめ)より将(も)ち来(きた)れる神宝(かむたから)」を大和政権の使者である武諸隅(たけもろすみ)に渡してしまった。このことで振根は立腹し、弟を責めたという。彼の忿怒は年月を経ても収まることはなく、水浴びをすると弟を騙し、弟の大刀を自分が作成した木刀にすり替え、結果、弟は兄に殺害された。

飯入根の弟の甘美韓日狭(うましからひさ)と息子の鸕濡渟(うかずくぬ)は神宝授与にも携わっており、「朝廷(みかど)に参向(もう)でて、曲(つばひらか)に其の状(かたち)を奏(もう)す」(朝廷に参上して、つまびらかにその時の状況を報告した)。その結果、振根は天皇の遣わした将軍、吉備津彦(きびつひこ)と武渟河別(たけぬなかわけ)によって誅殺されてしまった。

以上のような事情で、出雲臣ではしばらく出雲大神を祭らぬ状態が続いた、という[1]

この物語は『古事記』の出雲建の物語と酷似しており、具体的な歴史事実が芸能化・物語化されたもので、抽象化されて語られている。出雲勢力の大和王権への服属儀礼を記したものであり、模擬戦闘を描写したものでもあると辰巳和弘は述べている。

脚注[編集]

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  1. ^ 『日本書紀』崇神天皇60年7月14日条

参考文献[編集]

関連項目[編集]