コンテンツにスキップ

青木芳之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青木芳之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 (1977-02-07) 1977年2月7日
死没 (2012-12-25) 2012年12月25日(35歳没)
身長 165cm
体重 50kg
血液型 A型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 美浦・藤沢和雄(1995.3.1 - 2000.12.31)
美浦・フリー(2001.1.1 - 2012.12.26)
初免許年 1995年
免許区分 平地障害
騎手引退日 2012年12月25日(死亡による)
テンプレートを表示

青木 芳之(あおき よしゆき、1977年(昭和52年)2月7日 - 2012年(平成24年)12月25日)は日本中央競馬会(JRA)の元騎手美浦トレーニングセンター所属。

概要

[編集]

1995年(平成7年)に美浦・藤沢和雄厩舎からデビュー。同期には同郷の西田雄一郎西谷誠金折知則らがいる。同年3月5日、中山競馬第1競走でサーストンフジオーに初騎乗(13着)。翌週の3月12日、中山競馬第2競走でリッツリーターに騎乗して初勝利。2001年(平成13年)よりフリーになった後も藤沢厩舎とのつながりは強く、2008年(平成20年)5月18日の新潟競馬第9競走では藤沢厩舎のサトノコクオーに騎乗しJRA通算100勝を達成している。

海外への長期遠征も度々行っており、2008年(平成20年)に藤沢厩舎のカジノドライヴアメリカに遠征した際には、その経験を買われスタッフとして帯同し、現地で調教にも騎乗した[1]2009年(平成21年)10月8日からは韓国韓国馬事会)・ソウル競馬場へ遠征。JRA所属騎手が短期免許を取得して日本国外で騎乗するのは初めてだった[2][3][4]

以下は主な海外遠征地とその期間

  • フランス:2002年(平成14年)8月31日-12月
  • イタリア:2003年(平成15年)8月15日-10月15日
  • オーストラリア:2005年(平成17年)4月12日-2006年(平成18年)9月8日
  • アメリカ:2008年(平成20年)5月20日-6月4日
  • 韓国:2009年(平成21年)10月8日-12月28日
  • 韓国:2010年(平成22年)9月13日-2011年(平成23年)4月30日

2010年には、韓国遠征中に現地の女性と結婚している[5]

フリー転向後は海外遠征中を除けば、国内での騎乗は少ない状況にあった。2012年(平成24年)のレース騎乗数もわずか7鞍にとどまり3着以内もなく、4月15日の阪神競馬第12競走に騎乗して以降はレースでの騎乗もなくなり、休業状態だった。同年12月25日横浜市内の自宅で死亡しているのを父親により発見された。自殺とみられる[6][7][8]。35歳没。

騎手成績

[編集]
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1995年(平成7年)3月5日 2回中山4日1R 4歳未勝利 サーストンフジオー 16頭 12 13着
初勝利 1995年(平成7年)3月12日 2回中山6日2R 4歳未勝利 リッツリーター 16頭 1 1着
重賞初騎乗 1997年(平成9年)1月12日 1回中山5日11R ガーネットS ラックダイヤモンド 15頭 15 11着

通算成績:1831戦106勝

表彰

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 初戦のピーターパンステークスではケント・デザーモが騎乗。続くベルモントステークスではエドガー・プラードが騎乗予定であったが、左後脚挫石により出走を取り消した。
  2. ^ 青木芳之騎手が韓国で短期免許取得へ”. netkeiba. 2009年(平成21年)11月16日閲覧。
  3. ^ 過去には中舘英二菊沢隆徳渡辺薫彦村田一誠が韓国馬事会からの招待(KRA国際騎手招待競走)により韓国で騎乗している。
  4. ^ その後2012年上野翔が短期免許を取得している。
  5. ^ 青木芳之騎手が自殺か…夫人が韓国に帰国して心の支えを失う”. デイリー (2012年12月27日). 2020年3月7日閲覧。
  6. ^ デイリースポーツ (2012年12月26日). “JRAの青木芳之騎手自殺か 享年35”. 2012年12月26日閲覧。
  7. ^ 日刊スポーツ (2012年12月26日). “青木騎手自殺か JRA通算106勝”. 2012年12月26日閲覧。
  8. ^ 年度別成績(netkeiba.com)

関連項目

[編集]