関谷敏彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

関谷 敏彦(せきたに としひこ、1963年6月26日 - )は、元競輪選手。現在は日本競輪学校(以下、競輪学校)教諭(教官)。

来歴[編集]

自衛隊出身で、競輪選手の動機理由は、『自衛隊の空挺団員になれなかったので競輪選手になった』[1]というものだった。その後、競輪学校第58期生を経て、1986年9月5日山口県の登録選手として川崎競輪場でデビューし8着。初勝利は同年9月7日の川崎。

1989年全日本選抜競輪以降、常時特別競輪(GI)に出場するようになり、1990年高松宮杯競輪では決勝に進出(9着)した。ところが、1990年8月30日に行われた久留米競輪場の開設記念決勝戦で、最終4角付近で落車、転倒した際、右大腿骨の頭骨を骨折した。普通、スポーツ選手であれば、現役引退を余儀なくされるほどの大怪我であったが、関谷は競輪学校の校医だった寺門敬夫のところへ出向き、選手として復帰したいと申し出た[2]。その後、奇跡的に回復し、2年間のリハビリを経て、1992年10月に復帰した[3]

ところが1999年2月13日観音寺競輪場で行われたA級準決勝で落車した際、第7頚椎骨折と第3胸椎骨折を起こし、脊髄損傷で下肢が両方共動かなくなってしまった[4]。またしても引退危機に見舞われた関谷だったが、約1年後、自力歩行できるほどまでに回復したことから、再び選手復帰を希望。その後、寺門から毎日指導を受け、2002年7月17日玉野競輪場で約3年半ぶりに競走復帰を果たした[5]

その後、競輪学校の教官試験に合格したことから、2006年10月10日に選手登録が削除された。通算戦績1094戦242勝。

参考文献[編集]

  1. ^ 競輪人国記 山口(5) - リアルライブ 2009年8月25日付
  2. ^ 怪我からの復帰(関谷敏彦の巻 その2) - 「鉄人疾走」松本整オフィシャルサイト 2008年2月26日付
  3. ^ 怪我からの復帰(関谷俊彦の巻 その3) 「鉄人疾走」松本整オフィシャルサイト 2008年4月8日付
  4. ^ 怪我からの復帰(関谷俊彦の巻 その4) - 「鉄人疾走」松本整オフィシャルサイト 2008年4月23日付
  5. ^ 怪我からの復帰(関谷俊彦の巻 その7) - 「鉄人疾走」松本整オフィシャルサイト 2008年7月11日付

外部リンク[編集]