関西・歌舞伎を愛する会

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関西・歌舞伎を愛する会』(かんさい・かぶきをあいするかい,関西の歌舞伎を育てる会)とは、昭和53年(1978年)12月20日に当時衰退していた関西における歌舞伎(関西歌舞伎)を復興するために朝日座で結成された民間のボランティア団体[1]

2022年6月時点での事務局長は川島靖男。現事務局は大阪市中央区谷町2ー7ー6 みのるビル4階にある。

概要[編集]

関西・歌舞伎を愛する会は、昭和53年(1978年)12月20日に当時衰退していた関西歌舞伎を復興させるために大阪の民間労働組合(高畑敬一大阪民労協代表幹事)の呼びかけによって、行政、経済界、労働界、学者文化人、市民の人々が集結し朝日座で結成された非営利のボランティア団体。

「みんなが力を合わせて、関西で歌舞伎をもっと盛んにし、次代に伝えて」いくことをモットーとしている。

沿革[編集]

結成趣意書[編集]

関西で歌舞伎を育てる会(関西・歌舞伎を愛する会)結成趣意書は、次の内容である。

「歌舞伎は、日本人が生み出した世界に誇りうる最高の伝統的、舞台芸術の一つである。

三百数十年前、庶民大衆の中から生まれた歌舞伎も、時代の移り変わりの中で大きく変貌しながら伝統的な古典芸能として保存、継承されている。それは歌舞伎が持つ、人間の本質、性格、美を具現する姿に、現代人として共鳴できるところがあるからである。諸外国で歌舞伎が高く評価される理由も、まさにここにあると言わざるを得ない。

 しかしながら、映像や活字による文化が氾濫し、生活形態や意識が多様化している現代においては、落ちついて歌舞伎を鑑賞しようという若者は少なく、このまま放置しておけば伝統ある歌舞伎が衰退してしまうのは目に見えている。さいわい、国立劇場がある東京においては毎年、高校生や一般むけの歌舞伎鑑賞教室が開催され、その地道な活動によって若い世代の観客が増えている。

 一方、関西、とりわけ大阪における歌舞伎界の現状は不安そのものの状態である。それは、例年五月に上演されてきた顔見世が、今年より姿を消したことでもわかろう。さらに、現在、約三百名余りの歌舞伎役者のうち、関西出身者は約五十名であるが、その半数以上は東京に住まなければ仕事に支障をきたすという問題もある。

 井原西鶴近松門左衛門という、近世日本の巨匠を生みだした、上方文化の面影はどこへいってしまったのだろうか。もともと関西は、日本文化の発祥の地であり、歴史的、精神的なふるさととして、以来今日まで日本文化の発展に貢献してきた。

 関西の復権やルネッサンスと呼ばれ、いま精神的、文化的な真の豊かさを実現するための実践がなによりも求められている。幸い、昭和五十八年度には大阪に国立文楽劇場を完成させ、多目的に使える関西文化復興のための殿堂にしようという構想がまとめられた。しかし、その完成を待っているほど時間的余裕は残されていない。今から青少年や勤労者を中心に歌舞伎人口を広範囲に育てあげなければならない。

 大阪に生まれた文楽は、関係者の献身的な努力で若者の中に関心を持つ者が増えている。

一方、歌舞伎はまだ、これからの一層の努力が待たれているのである。文化の育たないところに、経済の発展と豊かな市民生活の向上は望めない。

関西を文化砂漠にしないため、いま市民一人一人の自覚と参加がなによりも求められている。

伝統芸能を次代に伝える義務が我々に課せられているのである。

 関西で歌舞伎を育てる会は、歌舞伎についての関心をみんなで深めるとともに、より多くの人が観劇するよう、市民ぐるみの活動をしようとするものである。

 どうか、この会に一人でも多くの方が参加され、行動を共にされんことを切望するものである。(昭和53年12月20日結成)」    

活動内容[編集]

関西歌舞伎を愛する会は、次の活動内容を主としている。

  • 歌舞伎ファンの拡大のため、関係組織が連携し取り組む。
  • 個人会員、法人会員の拡大に取り組む。
  • 関西圏での歌舞伎公演に積極的に協力する。
  • 歌舞伎俳優に関わる情報発信に積極的につとめる。
  • 歌舞伎のほか、文楽狂言などの古典芸能に関する情報発信にもつとめる。
  • 歌舞伎公演のバスツアーを実施する(こんぴら歌舞伎、永楽館歌舞伎、システィーナ歌舞伎など)。
  • 関西圏の大向う育成のため勉強会を実施する。
  • 自治体などが企画する歌舞伎講座やイベント等に積極的に協力する。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 片岡仁左衛門、澤村藤十郎「関西・歌舞伎を愛する会 結成三十周年記念 七月大歌舞伎」への想い|歌舞伎美人”. 歌舞伎美人. 2022年6月26日閲覧。

外部リンク[編集]