長谷川穂積

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長谷川穂積
基本情報
本名 長谷川穂積
階級 バンタム級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1980年12月16日
出身地 兵庫県西脇市
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 23
勝ち 21
KO勝ち 7
敗け 2
引き分け 0
無効試合 0
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長谷川 穂積(はせがわ ほづみ、1980年12月16日 - )はプロボクサーで、現在はWBC世界バンタム級王者。兵庫県西脇市出身。身長166センチ。日本プロボクシング発祥の地の一つである神戸の名門・神戸拳闘会の流れを汲む千里馬神戸ジムから世界を獲って地元を盛り上げた。

ちなみに、競技はまったく異なるが、松坂大輔投手と同い年なので、いわゆる松坂世代でくくられることもある。なお、野球以外の競技で彼以外にも松坂世代に上げられる選手もいる。詳しくは松坂世代の項を参照。

2007年1月現在、6人(暫定も含め)の世界王者の中でも、辰吉西岡らを退けてきたウィラポンから2勝(1KO)し、初防衛から2連続KO防衛(通算3連続防衛)に成功し、2005年度、2006年度MVPを獲得しているのもあり、日本の世界王者が1人の時代(冬の時代)を支えてきた徳山昌守に代わる事実上日本プロボクシング界のエースである。

専属トレーナーは、元警察官の山下正人

リングを離れれば、子煩悩な2児の父親でもある。

ボクシングと並行し、神戸市内の時計店でアルバイトをしていたが、その時計店が入っていたダイエーの閉鎖に伴い、閉店となった。

入場テーマは、幻想的なバラードの「Once You Had Gold(ENYA)」。


来歴

  • 5人兄弟の次男として生まれる。小学2年時から元プロボクサーの父(病気のために3戦で引退)にボクシングを教わるようになるが、その厳しさに反発し中学時代は卓球部に所属。
  • 兵庫県立多可高等学校を2年で中退後(定時制に編入して卒業)に千里馬神戸ジムに入門。本格的にボクシングを始める。プロテストの一度目は体調不良もあり落ちたが、1999年11月22日、プロデビュー。4回戦時代は2度の判定負けを経験。一時期スーパーバンタム級で試合した経験も有する。
  • 2003年5月18日ジェス・マーカフィリピン)を12回判定に降し、OPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得。その後、3度の防衛に成功し、2004年12月20日に王座を返上。
  • 2004年10月30日両国国技館にてWBAミニマム級王者新井田豊の初防衛戦の前座として、当時WBA4位の鳥海純と世界挑戦権をかけて対戦。10R判定で勝利し、当時WBC王者のウィラポンへの挑戦権を獲得した。ちなみにこの日は、この他にもスーパーバンタム級の日本王者中島吉謙と、ウィラポンと4度の世界戦を経験した西岡利晃の対戦や、後に日本王者となる木村章司と、WBCスーパーバンタム級王者オスカー・ラリオスのアゴを砕いた仲里繁の対戦と、豪華なカードが組まれていた。
  • 2005年4月16日、ちょうど20戦目にして世界初挑戦。WBC世界バンタム級王座を6年以上保持し続け、これが15度目の防衛戦となったウィラポン・ナコンルワンプロモーションタイ)に挑み、12回3-0の判定勝ち。見事、世界王者に輝いた。この試合が2005年度年間最高試合に選ばれた。
  • この世界王座奪取が高く評価され、5月には鈴木啓示(プロ野球・近鉄元投手)、渡辺公二(西脇工業高校陸上競技部監督)に続く西脇市民栄誉賞を受賞した。
  • 2005年9月25日の初防衛戦では試合1週間前に突如対戦相手がディエゴ・モラレスから怪我の為、ヘラルド・マルチネス(メキシコ)に変更されるという異常事態があったが、通算4度のダウンを奪う7回2分18秒TKO勝ちで防衛に成功。自らの結婚記念日に花を添えた。
  • 2006年3月25日、2度目の防衛戦。地元・神戸ワールド記念ホールで前王者ウィラポンと再戦し、9回19秒右フック一撃でTKO勝ち。この試合も1年前と同じく、年間最高試合に選ばれた。
  • 2006年11月13日日本武道館において、WBC1位のヘナロ・ガルシア(メキシコ)と壮絶な乱打戦を繰り広げ、挑戦者の積極的なファイトとバッティングによる出血に苦しみながらも、2度のダウンを奪うなど終始試合をリードし、3-0の判定で3度目の王座防衛を果たした。なおこの試合後に控室を訪れた徳山昌守より挑戦状を渡された。

最強王者ウィラポンに初挑戦~歓喜の王座奪取~ 

長谷川の初挑戦は2005年4月16日日本武道館にて当時バンタム級最強王者と呼ばれていたウィラポン・ナコンルワンプロモーションと対戦。長谷川は序盤から有効打を的確に当て、4Rまでリードを奪っていく。

しかしウィラポンも王者の意地を見せ、試合の中盤を支配した。試合終盤に長谷川はスタミナ切れを起こし始めたウィラポンに攻め立て、10Rにはウィラポンをグラつかせた。最終12Rまで壮絶な打ち合いを演じ、3-0の判定で長谷川が勝利し、およそ6年間続いたウィラポン王朝を崩壊させた。

ちなみにこの試合中継は関西地方では、翌日深夜の録画放送のみであった。

初防衛戦~愛する妻への最高のプレゼント~ 

長谷川の初防衛戦は2005年9月25日横浜アリーナにて行われた。

本来ならWBC1位のディエゴ・モラレスとの試合だったが、モラレスが練習中に負傷するアクシデントに見舞われた為、WBC8位のヘラルド・マルチネス急遽変更となった。モラレスはサウスポーなので、変更まではサウスポー対策の練習をしていたが、急遽オーソドックスのマルチネスに変わった為、長谷川は少し困惑したそうである。

しかし試合では序盤からペースをつかみ、2Rにはマルチネスを2度倒した。(しかしダウンととられずスリップと判断された。)そして3Rには正真正銘のダウンを奪う。

6Rが終了したと同時にジェット風船が飛ばされ、7R開始早々強烈な左ストレートでダウンを奪う。その後1分も経たない内に、早い連打で2度目のダウンを奪う。そして両者捨て身の打ち合いとなり、最後には長谷川の左がマルチネスを捕らえ、3度目のダウン。この時レフェリーが試合を止めた。

初防衛をTKO勝利で飾った長谷川は、この日結婚記念日であり、インタビューで、妻に対し「おめでとう。」と言った。

再戦~衝撃の幕切れ~ 

2006年3月25日地元神戸で世界王者となって初の凱旋試合となったこの試合は、11ヶ月前にベルトを奪った前王者、ウィラポンとの対戦となった。

ウィラポンは長谷川戦後、再起に成功(5戦5勝4KO)し、WBC1位指名挑戦者となって再び日本に戻ってきた。前回の対戦時、ウィラポンは調整ミスと囁かれており、本当の実力を出し切れていなかったのではとも言われていた。

この試合を勝ってバンタム級最強をアピールしたい長谷川と、約1年前の屈辱を晴らしたいウィラポンの戦いは、意外に静かな立ち上がりだった。

試合が進むにつれて長谷川のパンチがウィラポンを捕らえ始め、第6Rには強烈な左アッパーが炸裂、ウィラポンをダウン寸前まで追い込む。

第7、8Rはウィラポンが徹底的なボディーブロー攻めで流れをつかもうとする。そして第9R、わずか開始10秒で右フック一撃でダウンを奪う。ウィラポンは立ち上がろうとするものの、ダメージが大きく、立ち上がれずレフェリーストップがかかった。

この勝利で、長谷川は事実上日本のエースになったと言えるだろう。

タフネスなメキシカンとのV3戦~試合後、意外な訪問者~

2006年11月13日長谷川が王座奪取に成功した思い出の地、日本武道館にてWBC1位指名挑戦者、へナロ・ガルシアと対戦。

第1Rは、挑戦者が前に出てきて、王者がかわしながらパンチを出す展開となった。2Rから長谷川は徐々にパンチを浴びせるようになり、4Rには左アッパーでダウンを奪う。

このまま楽勝ムードで試合が進むかと思ったが、ここから挑戦者のしぶとさが目立つようになり、長谷川もパンチを浴びるようになる。

長谷川は第7Rには挑戦者のヒッティングにより軽くカットし、8Rにはバッティングによるカットで血まみれになりながら戦い、8R終盤にはこの日2つ目のダウンを奪う。

最終12Rには、高いディフェンス能力を見せ付けた。最終的に12R判定(3-0)で完勝したものの、それまで続けていたKO防衛には失敗し、観客に謝罪していた。

試合後、控え室に戻ると、一人の訪問者が訪れてきた。当時WBCスーパー・フライ級王者徳山昌守である。そして徳山は長谷川に挑戦状を渡したのである。

もしこの対戦が実現すれば、薬師寺VS辰吉や、畑山VS坂本以来のビッグマッチになるのだが、長谷川は次戦の相手を日本人以外の選手と希望したため、実現せず。結果、徳山は志半ばで引退を迎える結果となった。

V4戦の相手は南アフリカ人

2007年5月3日に、長谷川・名城信男エドウィン・バレロで、トリプル世界タイトルマッチを行うことが決定した。

メインの長谷川の対戦相手は、WBC世界バンタム級5位のシンピウィ・ベトイェカと発表された。 アンダーカードも豪華で、WBAスーパーフェザー級戦はバレロと、常に世界上位ランクに名を連ねながらも、タレントぞろいのスーパーフェザー級であってなかなかチャンスが巡って来ず、ようやく待ちに待った世界初挑戦の本望信人との対戦。WBAスーパーフライ級戦は名城と、かつて怪物と称され、幾度も対戦相手をリングに沈めた元王者でトップコンテンダー、アレクサンデル・ムニョスとの対戦が組まれている。


戦績

プロボクシング:21勝(7KO)2敗

獲得タイトル

  • OPBF東洋太平洋バンタム級王座(3度防衛後返上)
  • WBC世界バンタム級王座(3度防衛中)

関連項目

外部リンク

前王者
ウィラポン・ナコンルワンプロモーション
第26代WBC世界バンタム級王者

2005年4月16日 -

次王者
N/A