長岡館

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長岡館
岩手県
城郭構造 山城
築城主 長岡八右衛門?
築城年 不明
主な城主 長岡詮尹
廃城年 1592年(天正20年)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 町指定史跡
位置 北緯39度32分31.3秒 東経141度11分30.7秒 / 北緯39.542028度 東経141.191861度 / 39.542028; 141.191861座標: 北緯39度32分31.3秒 東経141度11分30.7秒 / 北緯39.542028度 東経141.191861度 / 39.542028; 141.191861
地図
長岡館の位置(岩手県内)
長岡館
長岡館

長岡館(ながおかだて)は岩手県紫波郡紫波町に所在した日本の城である。「長岡城跡」の名で紫波町指定史跡[1]

概要[編集]

北上川東方の館山の山頂部[2]に東西400メートル、南北350メートルの規模で、山頂には内濠と土塁がめぐり、中核部から北東と南西に張出し郭が続く。

沿革[編集]

築城時期は不明。斯波氏の重臣、長岡八右衛門の居城と伝えられ、長岡氏は大萓生、江柄氏などと同じ斯波河村党の一員で、越後長岡の細川高国の支族とも河村氏の支族ともいわれる。

天正16年(1588年)、南部信直斯波郡攻略にさいして、城主・長岡八右衛門詮尹は斯波方に属して奮戦したが、後に信直に仕え千石を給される。(「奥南落穂集」)

天正20年(1592年)の諸城破却書上には「長岡 平城 破 南部 東膳助 持分」とあり、破却された。

慶長5年(1600年)、旧領回復のための斯波一揆にさいして、斯波孫三郎は長岡館に拠る計画であったが、貝志田与三の変心によって果たせず大菅生に走った。

脚注[編集]

参考資料[編集]

  • 『岩手県史 第2巻 中世篇 上』 岩手県、1961年3月25日
  • 『岩手県史 第3巻 中世篇 下』 岩手県、1961年10月20日
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店1985年ISBN 4040010302
  • 児玉 幸阿・坪井 清足 『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』 新人物往来社1980年7月15日

関連項目[編集]