鈴木美通

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鈴木美通

鈴木 美通(すずき よしゆき、1882年9月2日 - 1956年3月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

山形県出身。山形中学を経て、1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業。1903年(明治36年)6月、歩兵少尉に任官し歩兵第32連隊付となる。1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業。

1911年12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、参謀本部付を経て、1916年(大正5年)11月、歩兵少佐に昇進し歩兵第1連隊大隊長に就任。1918年(大正7年)6月、陸大教官に転じ、関東軍司令部付に異動。1921年(大正10年)4月、歩兵中佐に進級。同年7月、吉林督軍軍事顧問に就任し、1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進した。

1924年(大正13年)3月、歩兵第62連隊長に移り、歩兵第2連隊長、参謀本部課長、陸大教官を歴任。1929年(昭和4年)8月、陸軍少将に進級し関東軍司令部付(奉天特務機関長)に就任。1931年(昭和6年)8月、歩兵第4旅団長となり満州事変を迎え、混成第4旅団長として出動。1933年(昭和8年)8月、陸軍中将に進み支那公使館付武官に就任。1934年(昭和9年)11月22日発表の論功行賞において、功三級勲一等旭日大綬章、元歩兵第四旅団長として掲載され、新聞各社の号外等により報道された[1]

1935年(昭和10年)3月、第19師団長に親補された。1937年(昭和12年)3月、予備役に編入。1941年(昭和16年)12月、新民会副会長となり、さらに同会最高顧問を務めた。

親族[編集]

  • 娘婿 登坂進(陸軍大佐)

脚注[編集]

  1. ^ 藤本尚則『第八師團に輝く行賞』(東京朝日新聞社、1934年11月22日号外)一面及び二面

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。