鈴木文三郎

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鈴木 文三郎(すずき ぶんざぶろう、1853年1月30日(嘉永5年12月21日[1][注釈 1])- 1926年大正15年)11月9日[2])は、明治から大正期の公吏、実業家政治家衆議院議員岩手県東磐井郡生母村長。

経歴[編集]

陸奥国磐井郡赤生津村[3]岩手県[2]岩井郡赤生津村、東磐井郡生母村[4]大字赤生津[5]前沢町を経て現奥州市前沢生母)で肝入[3]・鈴木兵之助の長男として生まれた[1]。漢学を修めた[2][4]。1886年(明治19年)3月、家督を相続した[1]

1873年(明治6年)水沢県地租改正掛勤務となる[5]。1876年(明治9年)2月、磐井県15等出仕となり同年4月まで在任[5]。同年8月、岩手県等外1等出仕となり、同県17等出仕、同10等警部を経て、1879年(明治12年)7月、新潟県9等属に転じ、1880年(明治13年)9月に退官した[2][3][4][5]

1884年(明治17年)10月、連合村会議員に就任[5]。以後、東磐井郡6ケ村衛生委員、所得税調査委員などに在任[4][5]。1889年(明治22年)5月、初代生母村長に就任し[3]、1894年(明治27年)3月、村長に再任された[2][4][5]。この間、大規模な植林を計画し、村の財政基盤の強化に努めた[3]。1892年(明治25年)4月、岩手県会議員に選出され、3期在任し、同常置委員、同参事会員も務めた[2][4][5]。1897年(明治30年)4月、東磐井郡会議員となり、同参事会員にも在任した[2][4][5]

1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、進歩党)で初当選し[5][6]、同年8月の第6回総選挙(岩手県第5区、憲政本党)でも再選され[5][6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][4]

養蚕を副業として営み、製糸工場を設けて横浜に出荷を行った[3]。その他、岩手県農工銀行監査役、同取締役、同頭取、岩手軽便鉄道監査役、岩手無尽社長などを務めた[1][2][3][4][5]

岩手県会選挙歴[編集]

  • 1892年4月当選(1期)[5]
  • 1896年4月当選(2期)[5]
  • 1897年7月当選(3期)[5]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『衆議院議員列伝』591頁では12月26日。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』す38頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』336頁。
  3. ^ a b c d e f g 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』223頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』239頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『衆議院議員列伝』591頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』95頁。

参考文献[編集]

  • 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』〈角川日本姓氏歴史人物大辞典3〉角川書店、1998年。