野々村運市

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野々村運市
野々村運市

野々村 運市(ののむら うんいち[1]1880年明治13年)2月20日[2] - 1951年昭和26年))は、日本教育者

経歴[編集]

島根県大原郡大東町(現在の雲南市)出身[3]1899年(明治32年)、島根県師範学校を卒業し、大東町高等小学校の首席訓導となった[3]。その後、1907年(明治40年)に東京高等師範学校を卒業し、鹿児島県立川辺中学校に赴任した[3]1909年(明治42年)、東京府豊島師範学校附属小学校主事に転じた[3]1921年大正10年)に辞して、東京高等師範学校専攻科に入って1923年(大正12年)まで教育学を専攻し、その後は東京高等師範学校講師となった[3]1929年(昭和4年)、東京高等師範学校教授に就任し、のち附属国民学校主事を兼ねた[4]。その他明治大学講師や東京商科大学専門部講師を務めた[2][3]

戦後は島根県立大東高等学校校長を務めた[5]

著作[編集]

  • 『教育と教授法』(明治堂書店、1941年)

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第11版』帝国秘密探偵社、1935年。 
  • 大日本学術協会編『日本現代教育学大系 第8巻』モナス、1927年。 
公職
先代
東京高等師範学校附属小学校主事
佐々木秀一
日本の旗 東京高等師範学校附属国民学校主事
1941年 - 1944年
次代
佐藤保太郎