遠藤常久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
遠藤常久

遠藤 常久(えんどう つねひさ、貞享3年4月5日1686年5月26日) - 元禄6年3月30日1693年5月5日))は、美濃八幡藩の第5代藩主。第4代藩主・遠藤常春の長男(庶子)。官位はなし。幼名は岩松。

生涯[編集]

元禄2年(1689年)、藩主となった。このとき、常久と改めている。しかし元禄6年(1693年)3月晦日(異説では3月20日、4月晦日などもある)、7歳の幼少で死去した。死因は重臣・池田主馬の毒殺であった(表向きは疱瘡)とする説がある。池田は常久を毒殺して自分の子を藩主に擁立しようと陰謀を企てたらしい。しかし他の重臣が真実を知って猛反対し、この一連の騒動も幕府に露見したとされる。

遠藤氏は無嗣断絶となったが、藩祖である慶隆の功績などが考慮され、遠藤家とは無縁の将軍徳川綱吉の側室瑞春院(お伝の方)の妹と旗本白須正休の長男を、親族の戸田氏成の養子とした上で遠藤氏の養子として遠藤胤親と名乗らせ、1万石で跡を継ぐことで存続を許された。