道家斉
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道家 斉(どうけ ひとし、安政4年2月20日[1]〈1857年3月15日〉 – 大正14年〈1925年〉10月30日[2])は、貴族院勅選議員、農商務官僚、法制官僚。
経歴
[編集]備前国児島郡[3]に佐野藤之丞の三男として生まれ、道家司勉の養子となった[4]。岡山藩藩学で漢学を学んだ後、岡山兵学館でフランス語を習得した[3]。
その後東京に出て大学南校で学び、1884年(明治17年)に農商務省に出仕した[4]。1886年(明治19年)、谷干城農商務大臣のヨーロッパ歴訪に随行した[4]。帰国後は海軍省で翻訳官を務めた[1]。1889年(明治22年)、黒田清隆内閣総理大臣の秘書官に就任し、翌年から内閣書記官も兼ねた[1]。1892年(明治25年)、枢密院書記官に転じ、黒田議長の秘書官も兼ねた[1]。1899年(明治32年)より法制局参事官となった[5]。
1908年(明治41年)、農商務省に復帰し、水産局長に就任した[6]。1912年(大正元年)には農務局長となり、1920年(大正9年)に退官するまでその職にあった。
退官後も1921年(大正10年)と1922年(大正11年)の二度にわたって国際労働機関総会で政府代表を務めた[1]。その他、農村電化協会を創設して会長に就任し、日本勧業銀行理事や産業組合中央会副会頭も務めた[1]。
1923年(大正12年)3月1日、貴族院議員に勅選された[7]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1899年(明治32年)12月27日 - 勲四等旭日小綬章[11]
- 1903年(明治36年)12月26日 - 勲三等瑞宝章[12]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 旭日中綬章[13]
- 1911年(明治44年)12月26日 - 勲二等瑞宝章[14]
- 1915年(大正4年)
- 1920年(大正9年)11月1日 - 勲一等瑞宝章[17]
- 外国勲章佩用允許
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 「正三位勲一等道家斉勲章加授ノ件」
- ^ 『官報』第3959号、大正14年11月4日。
- ^ a b 『岡山人物月旦』P.21
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』と28頁。
- ^ 『官報』第4728号、明治32年4月10日。
- ^ 『官報』第7555号、明治41年8月31日。
- ^ 『官報』第3174号、大正12年3月2日。
- ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
- ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
- ^ 『官報』第7932号「叙任及辞令」1909年12月1日。
- ^ 『官報』第4949号「叙任及辞令」1899年12月28日。
- ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第8558号「叙任及辞令」1911年12月28日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
- ^ 『官報』第3379号「叙任及辞令」1894年10月1日。
参考文献
[編集]- 『岡山県人物月旦』岡山新聞社、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 「正三位勲一等道家斉勲章加授ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113011400