足立友里恵

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足立友里恵

2017
生誕
出生地
(1985-04-26) 1985年4月26日(39歳)
北海道札幌市豊平区
ポジション フォワード
シュート 左打ち
所属チーム SEIBUプリンセス ラビッツ
代表 日本
プロ選手期間 年 – 現在

足立 友里恵(あだち ゆりえ、1985年4月26日 - )は、北海道札幌市豊平区出身[1]の元女性アイスホッケー選手。ポジションはフォワード立命館慶祥高等学校早稲田大学スポーツ科学部卒業。SEIBUプリンセス ラビッツ(旧 コクドレディース)に所属していた。身長155cm。ベンヌ所属[2]。現姓:河村。

プロフィール[編集]

小学生の時に兄の影響でアイスホッケーを始める[3]。小学生時代は男子が圧倒的に多い中、チームのキャプテンを務めた。その後札幌市立羊丘中学校を経て立命館慶祥高等学校に進学後、2年生次にアイスホッケー女子日本代表に初選出される[4]。札幌市内のクラブチームに所属した後、早稲田大学進学と同時にSEIBUプリンセス ラビッツに移籍[4]

2007年1月から2月にかけて長春中華人民共和国の旗 中国)で開催された2007年アジア冬季競技大会に出場して銀メダルを獲得。同年4月、栃木県日光市で行われた2007年女子アイスホッケー世界選手権ディビジョンIでは6得点4アシストをマークして優勝とトップディヴィジョン昇格に貢献[3]。2008年と2009年には世界選手権トップディヴィジョンに出場。

2008年11月、上海中華人民共和国の旗 中国)で開催されたバンクーバーオリンピック世界最終予選に出場。チームはチェコノルウェーには勝利したが、最終戦で中国代表に敗れて、2勝1敗の2位で敗退[4]2009年ハルビン中華人民共和国の旗 中国)で行われた2009年冬季ユニバーシアードではキャプテンを務めた[5]2011年1月から2月にかけてアルマトイカザフスタンの旗 カザフスタン)で開催されたアジア大会では2大会連続の銀メダル。

2013年2月、ポプラトスロバキアの旗 スロバキア)で開催されたソチオリンピック女子アイスホッケー世界最終予選に出場。初戦でノルウェーに勝ち、2戦目でスロバキアにゲームウイニングショットで敗れた後、最終戦でデンマークを下しC組で1位となり、4大会ぶりのオリンピック出場権を獲得した[6]

所属するSEIBUでは2008年から2010年までの全日本女子アイスホッケー選手権大会3連覇などに主力として貢献[7]。2012年大会でも優勝に貢献して最優秀選手賞を受賞している[8]

2014年、ソチオリンピック日本代表選手として出場[9]。2018年、平昌オリンピック日本代表選手として出場。

2018年6月15日のブログにて、2017年度のシーズンをもって現役引退したことを発表した。

エピソード[編集]

美人アスリートとしても知られている[7]。尊敬する人物は1998年長野オリンピック当時の日本代表主将を務めた近藤陽子で、元アナウンサー中野涼子は従姉にあたる。

早稲田大学で知り合ったスポーツ科学研究者の男性と2014年9月27日に結婚し、2015年5月18日にグランドプリンスホテル高輪で挙式、披露宴を行った。

日本代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「アイスホッケー 女子日本代表が再始動 足立友里恵がアジア大会金宣言=北海道」2017.02.17 スポーツ報知 19頁
  2. ^ 足立 友里恵 | 株式会社ベンヌ ベンヌ 2019年11月5日閲覧。
  3. ^ a b いよいよ本格化する世界への挑戦 1/3”. livedoorスポーツ (2007年9月21日). 2012年5月12日閲覧。
  4. ^ a b c 【インタビュー】美しきヒロインの素顔~足立友里恵(アイスホッケー)”. スポルティーバ (2011年12月28日). 2012年5月12日閲覧。
  5. ^ 足立友里恵 日本アイスホッケーチームキャプテンの素顔”. 東北サイト (2009年2月24日). 2012年5月12日閲覧。
  6. ^ アイスホッケー日本女子五輪決めた! 予選最終戦で快勝 スポーツニッポン 2013年2月10日閲覧
  7. ^ a b 脊山麻理子 (2011年12月27日). “【フォト&エッセイ】脊山麻理子のスポーツのある風景 vol.16 足立友里恵(アイスホッケー)”. スポルティーバ. 2012年5月12日閲覧。
  8. ^ 第31回日本選手権日本アイスホッケー連盟
  9. ^ 足立友里恵 第22回冬季オリンピック競技大会 日本代表選手団(日本オリンピック委員会)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]