赤井直義

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赤井直義
時代 戦国時代末期 - 江戸時代前期
生誕 元亀元年(1570年
死没 承応2年(1653年
改名 荻野金左衛門(京都隠棲時)
別名 悪右衛門
主君 藤堂高虎
伊勢津藩
氏族 丹波赤井氏
父母 父:赤井直正
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赤井 直義(あかい なおよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将赤井直正の子。通称は悪右衛門。

略歴[編集]

父の直正は直義が9歳の時に戦いの傷が元で死去し、叔父の赤井幸家が後見したが、明智光秀の度重なる猛攻に抗しきれずに落城し逃亡した。そして、のちに京都に隠棲した。この時、荻野金左衛門と改名している。1610年山口直友を介して藤堂高虎に仕え1000石を賜ると同時に旧姓に復す。大坂の陣では藤堂軍の足軽大将として活躍した。

2010年、直義の子孫が赤井家住宅伊賀市に寄贈することが発表された[1]

脚注[編集]

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