谷口正孝

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谷口 正孝(たにぐち まさたか、1917年1月28日 - 1994年6月25日)は、宮崎県出身の裁判官第七高等学校造士館を経て九州帝国大学法文学部法科卒業。法学博士

来歴・人物[編集]

1942年判事任官。刑事裁判官として名古屋・東京の各地方裁判所、高等裁判所判事などを経て東京地方裁判所所長から1980年最高裁判所判事となる。地方裁判所所長からの最高裁入りは現在まで、唯一のケースとなっている(高等裁判所部総括判事から最高裁入りした事例としては、岩田誠中村治朗の例がある)。最高裁では市民派・人権派として知られた。1987年1月退官。

退官後は、日本大学大学院法学研究科非常勤講師として勤務。講演原稿や最高裁裁判官時代の意見・補足意見・反対意見をまとめたものとして、『裁判について考える』(勁草書房、1989年)がある。

最高裁判所裁判官国民審査における不信任率14.84%は歴代第二位(2007年現在)である。なお谷口の他にも宮崎梧一寺田治郎伊藤正己が歴代最高不信任率の第六位までに入っているように、1980年の第12回国民審査は全般的に不信任率が高い国民審査であった。

下級審時代の担当訴訟[編集]

最高裁時代の担当訴訟[編集]