藤屋窓月堂

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藤屋窓月堂
種類 有限会社
本店所在地 日本の旗 日本
三重県伊勢市宇治中之切町46番地の1
設立 明治初年[注釈 1]
業種 食料品
法人番号 2190002009589
代表者 吉尾雄介
外部リンク 公式サイト
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藤屋窓月堂(ふじやそうげつどう)は、三重県伊勢市に所在する老舗和菓子メーカー。利休饅頭の製造や労働大臣内閣官房長官を歴任した藤波孝生の実家として知られる。

概要[編集]

もとは伊勢神宮の神職をしていた藤波家が、明治に入って社家の制度がなくなったことで菓子作り屋に転身したことに始まる[1]

藤波清市の長男・孝生は、早稲田大学商学部卒業後に実家に戻って家業を継いだが、衆議院議員選挙に立候補することになると、弟の俊也がその跡を継いだ[2]

俊也の代に、阿児ショッピングセンター[3]伊勢ショッピングセンターに出店するなど[4]、事業を拡大させたが、阿児ショッピングセンターからは2007年平成19年)に撤退[5]、伊勢ショッピングセンターからは2017年(平成29年)に撤退した[6]。その後、俊也は相談役に就任している[* 1]

6代目を継いだ吉尾雄介は、藤波家の出ではなく、千葉県出身の和菓子職人で、専務であった[* 2]。雄介は、三重県立明野高等学校の生徒と共同して菓子を製作したり[* 3]、県内に店を構えるフレンチレストランのシェフとコラボブランドを立ち上げるなど[* 4]、地元に根差して伝統を守りつつ新しい取り組みを行っている。

人物[編集]

主な商品・ブランド[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『大日本商工録』昭和七年版, p. 37(三重縣)では、創業は明治22年(1889年)となっている。

出典[編集]

  1. ^ 『藤波孝生オーラルヒストリー』, p. 11.
  2. ^ 『藤波孝生オーラルヒストリー』, pp. 19–21.
  3. ^ 『三重県公報』第1377号, pp. 4–6, 「三重県告示第348号」.
  4. ^ 『三重県公報』第1470号, pp. 3–5, 「三重県告示第303号」.
  5. ^ 『三重県公報』第1906号, pp. 20–22, 「三重県告示第604号」.
  6. ^ 『三重県公報』第2917号, pp. 3–5, 「三重県告示第452号」.
  7. ^ 『官報』第3479号, p. 21, 「公告:学芸技術奨励金品寄附」.

サイト出典[編集]

  1. ^ 【三重】神宮内宮前、人影まばら 宣言解除初の週末、県内は”. 『中日新聞』 (2020年5月17日). 2023年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  2. ^ 伊勢市『藤屋窓月堂の専務、吉尾雄介さん』(カフェ)”. ゲンキ3ネット (2015年8月15日). 2015年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  3. ^ 余った酒かすをまんじゅうに 酒造りの明野高校 三重”. 『朝日新聞デジタル』 (2021年2月6日). 2021年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  4. ^ a b c 伊勢の藤屋窓月堂がフレンチとコラボ和菓子第2弾”. 『伊勢志摩経済新聞』 (2021年10月22日). 2021年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  5. ^ テレビで全国区、進化形どら焼き「どらエピス」 伊勢の藤屋窓月堂”. 『中日新聞』 (2022年8月17日). 2023年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『大日本商工録:昭和七年版』高瀬末吉編、大日本商工会、1932年。 
  • 『藤波孝生オーラルヒストリー』伊藤隆編、政策研究大学院大学〈C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト〉、2005年3月30日。 

行政文書[編集]

  • 『官報』第3479号、1938年8月8日。 
  • 『三重県公報』第1377号、2002年6月14日。 
  • 『三重県公報』第1470号、2003年5月13日。 
  • 『三重県公報』第1906号、2007年8月14日。 
  • 『三重県公報』第2917号、2017年7月4日。 

外部リンク[編集]