葛木二上神社
葛木二上神社 | |
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拝所 | |
所在地 | 奈良県葛城市染野691 |
位置 | 北緯34度31分33秒 東経135度40分39秒 / 北緯34.52583度 東経135.67750度座標: 北緯34度31分33秒 東経135度40分39秒 / 北緯34.52583度 東経135.67750度 |
主祭神 |
大国魂神 豊布都魂神 |
社格等 |
式内社(大2座) 旧郷社 |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 7月25日・10月25日 |
地図 |
葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ/かつらぎにじょうじんじゃ)は、奈良県葛城市染野の二上山雄岳山頂付近にある神社。式内社(大社)で、旧社格は郷社。「二上神社」・「葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)」とも。
祭神
[編集]豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂(おおくにたま)神を祀る。豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。豊布都霊神については布都御魂の名が有名だが、何故「豊」が名前に付くのかは不明。また、武雷神と同神とされる。大国魂神は国津神の大将軍とされる。
『神社要録』には「武甕槌命、大国主命」、『神祇志』には「紀豊布都霊神、大国神」と記載されている。元々は二上山の2つの山頂・雄山と雌山にそれぞれ男神・女神が祀られていたものとみられる。
歴史
[編集]創建の年代等は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
當麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。
近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。
境内
[編集]現在の社殿は、1974年(昭和49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。本社の東側に大津皇子の墓がある。
山麓の葛木倭文坐天羽雷命神社(倭文神社)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。
祭事
[編集]旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様 幟がお好き、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。
その他
[編集]境内(雄岳山頂)に立ち入るには美化保存協力金200円を神社に支払う必要がある。
関連項目
[編集]- 二上神社口駅(にじょうじんじゃぐち)