茂村華奈
茂村 華奈(もむら かな、1967年[1]11月10日[2] - )は、日本のフリーアナウンサー。
来歴
[編集]元々喋ることが好きで、高校を卒業してからアナウンスの専門学校に通ったほか、ラジオ番組にもアシスタントとして出演した経験がある[5]。たまたま広告誌に載っていたという有線の競輪放送のテスト番組アシスタント募集の記事を見て応募したところ、採用される。当時の小松島競輪場にはレース実況の担当者が常時おらず、ちょうど小松島においてもテレドームの電話サービスの導入が決定した時期だったこともあり、競輪場の方から実況アナウンサーとしてオファーを受けたことがきっかけとなった[5]。
女性としては初、また就任当時としては唯一の、競輪実況アナウンサーとなったが[2][6][7][8]、そもそも競輪に関しては有線で競輪番組を担当していたとはいえ、実況をこなせるほど競輪に関する知識はなかったこともあり、実況デビューとなった1998年の最初のレースでは号砲後20秒間一言も発しなかったなどというエピソードがある[5]。
それからは他の競輪場のレース実況を聴きに行くなどして勉強を重ね、第一回実況アナウンサーファン投票において全国4位に推されたほか、2004年にはファン投票で1位に入るなど、長きにわたり小松島競輪のPR塔としても活躍[4]。
ただ、50歳を過ぎてから体力・気力の衰えを感じるようになり、レース実況を引退することも頭によぎったが、長年一人で実況をやってきた中で誰にもバトンタッチできずに引退することが悔しく感じていたのも事実であった。そんな中で、小松島競輪場で初のガールズケイリン選手となった岩原紗也香の姿を見て「レース実況向き」と感じたことから、岩原が現役引退した直後に声を掛け、レース実況アナウンサーを薦めた。岩原もそれに応え、レース実況の勉強を重ね、また自らが競輪場関係者との折衝にも尽力したことで、岩原がレース実況アナウンサーとしてデビューするきっかけを作った。岩原は2022年11月に「試験起用」という形でレース実況を担当した[9]が、好評であったためそれ以降も幾つかレース実況を担当するまでになった[1][4]。
レース実況については2022年12月を最後に遠ざかり、その後は岩原が『一本立ち』したこともあって、実況を始めてから25年を迎える2023年3月末をもって、契約満了により競輪実況アナウンサーを引退した[3][10][4]。ただ、その岩原が同年10月2日から4日まで松戸競輪場で開催された第1回オールガールズクラシックの実況を担当することになったため、10月1日に開催された小松島FII(ミッドナイト競輪)最終日のみピンチヒッターとして実況に復帰した。
脚注
[編集]- ^ a b “元ガールズ岩原紗也香さんが実況アナに転身 小松島で試験起用「夢は師匠の引退レース実況」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年11月30日) 2023年1月12日閲覧。
- ^ a b “小松島競輪 キャスター紹介”. 小松島競輪場. 2021年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月2日閲覧。
- ^ a b “初の女性実況アナウンサー茂村華奈さん、3月で引退「やり尽くした。悔いはないです」/小松島”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年2月14日) 2023年2月14日閲覧。
- ^ a b c d “小松島競輪の名物実況アナ・茂村華奈さん3月末引退 元ガールズケイリン選手・岩原紗也香さんに後を託し”. 徳島新聞 (徳島新聞社). (2023年3月23日) 2023年4月6日閲覧。
- ^ a b c 全国女性キャスターが語る 地元選手&地元バンク 第3回 - 月刊競輪 2004.8
- ^ “国内唯一の女性競輪実況アナ「共同通信社杯」PR”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年4月1日) 2013年8月10日閲覧。
- ^ “小松島競輪で第24回共同通信社杯春一番 8日から開催”. ZAKZAK (夕刊フジ). (2010年4月1日) 2013年8月10日閲覧。
- ^ “個性があるから面白い 各競輪場の専属実況アナ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年11月28日) 2014年6月18日閲覧。
- ^ 岩原 紗也香 [@sayaka_keirin] (2022年11月7日). "~ 重大なお知らせ ~". X(旧Twitter)より2022年11月8日閲覧。
- ^ “小松島の名物アナウンサー茂村華奈さん引退 輪界初の女性実況27年間「やり尽くしました」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年4月5日) 2023年4月5日閲覧。