コンテンツにスキップ

苫米地四楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
苫米地 四楼
生誕 1885年4月1日
日本の旗 日本 青森県上北郡藤坂村
死没 1952年
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1907年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

苫米地 四楼(とまべち しろう、1885年明治18年)4月1日[1] - 1952年昭和27年)[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将位階勲等功級正三位勲二等功三級[2]

経歴

[編集]

青森県上北郡藤坂村出身[2]苫米地義三の弟[2]1907年(明治40年)陸軍士官学校第19期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1]。のち1911年(明治44年)陸軍大学校に入校し1914年大正3年)同校第26期卒業[1]

1930年(昭和5年)近衛師団司令部附(大正大学配属将校)、1931年(昭和6年)陸軍歩兵大佐1933年(昭和8年)歩兵第35連隊長、1935年(昭和10年)第9師団司令部附を経て、同年、陸軍少将・歩兵第29旅団長に任官する[1][3][4][5][6][7]

その後、1937年(昭和12年)8月2日に待命、のち同月22日に予備役を経て、召集を受けて同年9月に新編の歩兵第104旅団長(第1軍第108師団)となり、石家荘攻略に出征[1]宋哲元軍を破り、次いで太原を敗走した閻錫山の根拠地である臨汾を攻め落とした[1]。翌年の1938年(昭和13年)召集解除、1945年(昭和20年)津軽要塞司令官に任ぜられ、終戦を迎えた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[8]

親族

[編集]

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』496頁。
  2. ^ a b c d e 東奥日報社 2002, 464頁.
  3. ^ 『官報』第1197号、昭和5年12月23日
  4. ^ 『官報』第1258号、昭和6年3月12日
  5. ^ 『官報』第1864号、昭和8年3月20日
  6. ^ 『官報』第2530号、昭和10年6月11日
  7. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』244頁。
  8. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656