花火 (ストラヴィンスキー)

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花火》(仏語Feu d'artifice)作品4は、イーゴリ・ストラヴィンスキーの初期の管弦楽曲。スケルツォ形式によるオーケストラのための幻想曲だが、演奏に5分とかからない文字通りの小品である。ストラヴィンスキーが作曲家として名を揚げる上で役立ったが、成熟期の代表作として認められてはいない。その後の作風に比べると、大部分において非常に調的ではあるものの、複調的な響きも仄めかされている。

作曲の経緯[編集]

ストラヴィンスキーの自伝によると、『花火』は1908年に恩師ニコライ・リムスキー=コルサコフの娘のナジェージダと、同門の作曲家マクシミリアン・シテインベルクとの結婚を記念して作曲されたが、リムスキー=コルサコフはその年の6月に亡くなったために、演奏を聴くことは出来なかった[1]。ストラヴィンスキーは師の追憶のために『葬儀の歌』を作曲したが、それ以前に『花火』は一応の完成を見ており、シテインベルク夫妻は7月11日[2]に曲の感想を書いている[3]。その後も改良を続け、実際に完成したのは1909年の5月から6月と考えられる[4]

演奏[編集]

自伝によると、『花火』は1909年にアレクサンドル・ジロティの指揮によって『幻想的スケルツォ』とともに初演され、初演を聞いたセルゲイ・ディアギレフがこの時からストラヴィンスキーと親密な関係を持ったことになっている[5]。しかしこれは正しくなく、『花火』の公開初演は翌1910年1月9日[2]であって、すでにストラヴィンスキーは『火の鳥』を書いている最中だった。ウォルシュによると、公開初演の前にも私的な演奏を何度か行っていたため、そのひとつをディアギレフが聞いた可能性は充分あるという[6]

1917年にバレエ・リュスは『花火』をローマで上演した。指揮はストラヴィンスキー本人により、未来派ジャコモ・バッラが舞台装置を担当した[7][8]

編成[編集]

ピッコロフルート2、オーボエ2(第2奏者コーラングレ持ち替え)、クラリネット3(第3奏者バスクラリネット持ち替え)、ファゴット2、ホルン6、トランペット3、トロンボーン3、チューバティンパニトライアングルシンバル大太鼓グロッケンシュピールハープ2、チェレスタ弦五部(第1ヴァイオリン16、第2ヴァイオリン14、ヴィオラ12、チェロ10、コントラバス8)

演奏時間は約4分。

脚注[編集]

  1. ^ 自伝 p.36
  2. ^ a b 日付はユリウス暦による
  3. ^ Walsh (1999) p.113
  4. ^ Taruskin (1996) p.335
  5. ^ 自伝 p.37
  6. ^ Walsh (1999) p.122
  7. ^ White (1979) p.181
  8. ^ 自伝 pp.90-92

参考文献[編集]

  • Richard Taruskin (1996). Stravinsky and the Russian Traditions: A Biography of the works through Mavra. 1. University of California Press. ISBN 0520070992 
  • Stephen Walsh (1999). Stravinsky: A Creative Spring: Russia and France 1882-1934. New York: Alfred A. Knopf. ISBN 0679414843 
  • Eric Walter White (1979) [1966]. Stravinsky: The Composer and his Works (2nd ed.). University of California Press. ISBN 0520039858 
  • イーゴル・ストラヴィンスキー 著、塚谷晃弘 訳『ストラヴィンスキー自伝』全音楽譜出版社、1981年。 NCID BN05266077