花のサンフランシスコ
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| 「花のサンフランシスコ」 | ||||
|---|---|---|---|---|
| スコット・マッケンジー の シングル | ||||
| 初出アルバム『The Voice of Scott McKenzie』 | ||||
| B面 | ホワッツ・ザ・ディファレンス | |||
| リリース | ||||
| 規格 | 7インチ・シングル | |||
| 録音 | 1967年 | |||
| ジャンル | フォークロック | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | オード・レコード | |||
| 作詞・作曲 | ジョン・フィリップス | |||
| プロデュース | ルー・アドラー、ジョン・フィリップス | |||
| チャート最高順位 | ||||
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| スコット・マッケンジー シングル 年表 | ||||
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「花のサンフランシスコ」(San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair))は、スコット・マッケンジーが1967年に発表した楽曲。同年6月16日から3日間、カリフォルニア州モントレーで開かれた野外コンサート「モントレー・ポップ・フェスティバル」のプロモーションのために、ママス&パパスのジョン・フィリップスが書いた。
概要
[編集]アメリカ合衆国では1965年頃より花が若者たちの反戦の象徴に用いられ[注釈 1]、フラワー・パワー(Flower power)と呼ばれるスローガンが生まれた。フィリップスはプロデューサーのルー・アドラーと共にモントレー・ポップ・フェスティバルの開催の中心的役割を担っており、彼はフラワー・パワーを踏まえ本曲を書き上げた。
フィリップスとマッケンジーは旧知の仲だった[注釈 2]。レコーディングではフィリップスがギターを弾き、ジョー・オズボーン(ベース)、ハル・ブレイン(ドラムズ)、ゲイリー・L・コールマンら(グロッケンシュピール、チューブラーベル)らが参加した。プロデューサーはアドラーとフィリップスが務めた[2]。
1967年5月4日、シングルA面曲として発売[1]。B面はマッケンジーが書いた「ホワッツ・ザ・ディファレンス(What's the Difference)」。同年6月に同フェスティバルのテーマ・ソングに用いられた後、7月1日付のビルボード・Hot 100で4位を記録した[3]。全英シングルチャートで1位を記録し、ビルボードの1967年の年間チャート48位を記録した。
D・A・ペネベイカーが監督した同フェスティバルの記録映画『Monterey Pop』(1968年12月公開)の冒頭で流れる。
カバー・バージョン
[編集]- ペトゥラ・クラーク - 『These Are My Songs』(1967年)に収録。
- ザ・ワンダース - 『ロック天国』(1968年)に収録。
- タニヤ・タッカー - 『Tear Me Apart』(1979年)に収録。
- 尾崎紀世彦 - 『尾崎紀世彦ポピュラーアルバム』(1979年)に収録。
- 筋肉少女帯 - 『San Francisco - 10th Anniversary of King-Show』(1998年)に収録。
- ミー・ファースト・アンド・ザ・ギミー・ギミーズ - 2001年のアルバム『Blow in the Wind』に収録。
- モナリザ・ツインズ
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]| 先代 ビートルズ 「愛こそはすべて」 |
全英シングルチャート 1位 1967年8月9日 - 8月30日(4週) |
次代 エンゲルベルト・フンパーディンク 「ラスト・ワルツ」 |