芝竹夫
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しば たけお 芝 竹夫 | |
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生誕 |
1935年??月??日 日本 愛知県名古屋市 |
死没 |
????年??月??日 日本 福岡県田川郡 |
出身校 | 北九州市立大学外国語学部米英科卒業 |
職業 | 小学校教諭、中学校教諭、社会運動家 |
芝 竹夫 (しば たけお、1935年 - 2013年10月2日[1])は、日本の教育者。福岡県田川郡内の小学校、中学校教諭。社会運動家。
来歴
[編集]愛知県名古屋市に生まれる。1943年に福井県小浜市に疎開。同時期に俳優の山城新伍、俳人の島田玲子も同市に疎開していた。また、近隣の湖西・高島では、文芸評論家の饗庭孝男も疎開していた。1947年福岡県筑豊にて育つ。
1958年北九州市立大学外国語学部米英科卒業。のちに福岡県田川郡内の小学校、中学校教諭を務め、1995年定年退職。
2013年10月2日死去。
著書
[編集]- 『小さな胸は燃えている - 産炭地児童の生活記録集』(文理書院) 1966年
- 『でも僕らは生きる - 筑豊の子らと教師の記録』(新紀元社) 1967年
- 『迫害のなかの連帯』(たいまつ社、たいまつ新書) 1977年
- 『歴史を刻む在日コリアンたち』(向陽舎) 2003年
脚注
[編集]- ^ 西日本新聞 2013年10月5日紙面 芝竹夫さんを悼む声続々 差別と闘った半生
外部リンク
[編集]- 在日韓人歴史資料館ホームページ
- 五十年前、こういう偉大な「在日」がいた - 呉文子・秋山祐徳太子・西部邁
- Rosalia AVILA-TAPIES., 「在日外国人と日本人の人口移動パターンの比較分析 大阪市生野区を事例として」 『人文地理』 1995年 47巻 2号 p. 174-188, doi:10.4200/jjhg1948.47.174
- 本市に於ける朝鮮人の生活概況 大阪市社会部報告. 第85号(大阪市社会部労働課, 1935)
- バラツク居住朝鮮人の勞働と生活 大阪市社会部報告. 第51号(大阪市社会部労働課, 1935)