良渚文化

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良渚文化時期の遺物
玉璧
玉琮
玉琮に彫られた神の顔面

良渚文化(りょうしょぶんか、拼音: Liángzhǔ wénhuà)は、長江文明における一文化。紀元前3500年ころから紀元前2200年ころにみられた。

1936年浙江省杭州市良渚で発掘された。崧沢文化などを継承しており、黄河文明の山東竜山文化との関連も指摘されている。柱形・錐形・三叉形など多様な玉器の他、絹なども出土している。分業や階層化が進んでいたことが、殉死者を伴う墓などからうかがえる。

提唱されている学説[編集]

近年、長江文明研究の進展により、良渚文化は王朝に比定されている。

また、黄帝の三苗征服伝説を、黄河流域の中原に依拠した父系集団の龍山文化による三苗(ミャオ族)征服の痕跡とみなし、黄河文明と長江文明の勢力争いを描いたものとする見方もある[1]

徐朝龍によれば[2]良渚文化は稲作都市文明を形成していた。1000年ほどの繁栄を経て、洪水でこの文化は崩壊する。良渚文化集団の一部は北上し、黄河中流域で夏王朝を興した。やがて夏王朝は支配下にあった東夷后羿(こうげい)部族に倒される。夏王朝の遺族の一部は北西に逃れ(下記匈奴参照)、のち四川盆地に移住し、三星堆文化を築いたとする。

関連項目[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『図説 中国文明史1 文明への胎動』創元社、2006年
  2. ^ 『長江文明の発見』1998 角川書店。また松岡正剛千夜一夜、第三百三十一夜、2001年7月9日

外部リンク[編集]