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脇坂安種

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
脇坂安種
時代 江戸時代中期
生誕 正徳2年(1712年
死没 寛延元年12月13日1749年1月31日
別名 角次郎、図書、一角(通称
戒名 英龍
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川吉宗家重
氏族 脇坂氏
父母 父∶脇坂安利
母∶不明
兄弟 安種堀田正賓木下利意室、奥山和佐
安親
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脇坂 安種(わきざか やすたね)は、江戸時代中期の旗本

略歴

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正徳2年(1712年)、脇坂安利の長男として誕生した。

元文4年(1739年3月6日、旗本領2,000石を継承、4月11日に8代将軍徳川吉宗に拝謁。延享2年(1745年)閏12月16日小姓組番士となった。

寛延元年(1748年)12月13日、死去。享年37。遺領は養子の安親堀田正陳の四男)が相続したが、安親は後に播磨国龍野藩脇坂家を継承し、旗本脇坂家は絶家となった。

脚注

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出典

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