竹内可吉

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竹内可吉

竹内 可吉(たけうち かきち、1889年明治22年)2月28日 - 1948年昭和23年)12月29日)は、日本の商工官僚商工次官企画院総裁、貴族院勅選議員鹿児島県出身。

経歴[編集]

鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島第一中学校第三高等学校を経て[1]1915年大正4年)に東京帝国大学法科大学経済科を卒業して、農商務属となり、翌年に高等文官試験に合格した。以後、事務官、書記官、商工省工務局長、特許局長官、燃料局長官を経て、1936年(昭和11年)に商工次官に就任した。その後、臨時物資調整局次長、物価局次長を歴任して1939年(昭和14年)に退官した。

1940年(昭和15年)に企画院総裁に就任。同年に退任した後は、7月16日に貴族院勅選議員に任じられた[2]。その後、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)まで軍需次官を務めた[3]1946年(昭和21年)5月14日、貴族院議員を辞職した[4]。その後公職追放となった[5]

戦後は、日本能率協会会長に就いた。墓所は多磨霊園(21-1-1)

栄典[編集]

外国勲章佩用允許

脚注[編集]

  1. ^ 南日本新聞社『郷土人系 上』(春苑堂書店、1969年)p136
  2. ^ 『官報』第4058号、昭和15年7月17日。
  3. ^ 『官報』第5261号、昭和19年7月28日
  4. ^ 『官報』第5799号、昭和21年5月17日。
  5. ^ 公職追放の該当事項は「企画院総裁」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、639頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  7. ^ 長谷川清外三十一名外国勲章記章受領及佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504700 

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。 
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。