禁煙パイポ

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禁煙パイポ

禁煙パイポ(きんえんパイポ)は、マルマンが発売しているタバコ型の禁煙グッズである。1984年にマルマンの別会社であるアルマン[1]が発売。発売当初に放送されたテレビコマーシャルが話題となった[2]

概要[編集]

テレビ番組『発明将軍ダウンタウン』の「ひらめき発明伝」コーナーでこの商品が紹介されたことがある。それによると考案のきっかけは、パイプを持つ愛煙家は喫煙時以外にもパイプを口にくわえていることが多く、これはフロイトの唱える口唇期に由来すると開発チームは考えた。さらに縁日で売っているハッカパイプからもヒントを得た。こうしてミント柑橘類の味を吸入しながら、タバコの代わりにものを口に咥える口唇欲を満たすという形の禁煙具として、この禁煙パイポが生まれたという。

テレビコマーシャル[編集]

下記の記述は基本的に初期バージョンのエピソードである。

内容[編集]

小指を立てた状態

禁煙パイポのテレビコマーシャルには3人のスーツ姿の男性が登場する。まず青いグラデーションのかかった背景に、右手に禁煙パイポを持った1人目の男性が登場し、「私(わたくし)は、この禁煙パイポでタバコをやめました」と語る。続いて同じ背景でやはり右手に禁煙パイポを持った2人目の男性が登場し、「私(わたくし)もこのパイポでタバコをやめました」と語る。3人目の男性が登場するときにはピンク色のグラデーションがかかった背景となり、パイポの代わりに小指を立てながら「私は、コレで、会社を辞めました」と語る。最後に、禁煙パイポを吸う3人の男性が映し出される[2]

制作[編集]

このコマーシャルの演出を担当したのは市川準である。制作及び放映費はすべて銀行からの借金であり、成功しなければ倒産するという状況であった[2]。出演したのは日本禁煙友愛会のメンバーであり[3]、エキストラ派遣会社から応募してきた素人たちから市川が中心となって選考した。出演料は交通費と弁当の支給のみであり、コマーシャルがヒットしてから謝礼が支払われた[2]

放映[編集]

1984年5月にテスト販売を開始した禁煙パイポは、販売の行われた静岡県でコマーシャルが放映された。制作スタッフはコマーシャルが公序良俗に反するのではないか、女性団体から抗議があるのではないかと心配した。実際、最初は放映を拒否され、スタッフの熱意で放映を行うことができた。当初は小指を立てないバージョンも制作されて放映された。3ヶ月後、東京都で放映が開始された[2]

反響[編集]

東京都で放映が開始されると、大きな話題となり、3年後には商品の売上が初年度の3倍となった(年商が7億円から40億円に跳ね上がったという)。小指を立てた男性は東京都の職員であったが、仕事に支障をきたすほどの有名人となった[2]。「私はコレで会社をやめました」というフレーズは1985年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞に選出された[4]。また、日本テレビコマーシャル制作社連盟(現:日本アド・コンテンツ制作社連盟)が1991年に選定した『昭和のCF100選』に選ばれている[2]

出演した手塚によると、当時は子供も良く真似をするほどのインパクトある人気CMだったとのことで、街中ではサインを求められることもあったという。

近年の状況[編集]

  • 2010年に製作・放送された最新版では、26年ぶりに初期バージョンの「私はコレで~」の人物(手塚和重)が出演。往年とは風貌もかなり変わったが、昭和風の公団住宅と思しき隣家でホタル族している父親に例のポーズを取ってパイポを勧めている(他、2バージョンアリ)。
  • 2013年9月21日付の日刊ゲンダイ記載の記事によると、「私は、コレで~」の人物は手塚和重という名前である。3人の出演者のうち、向かって左側の人物(2番目に「私もこのパイポで~」の人物)は出演から数年後に亡くなり、真ん中の人物(私は、この禁煙パイポで~)の人物)は音信不通で、このCMに関して取材を受ける時はいつも手塚のみとのこと。

出典[編集]

  1. ^ マルマン商品開発部次長であった三好重恭が禁煙パイポを提案したが「マルマン自体が喫煙具を売る会社なのに禁煙グッズを売ることはできない」という事情から三好が円満退社し起こした会社である。
  2. ^ a b c d e f g 「懐かしのコマーシャル1984 アルマン/禁煙パイポ」、『CM NOW』52号、玄光社、1995年1月、 p.84。
  3. ^ 「ぼくたちの80年代CM」、『CM NOW』48号、玄光社、1994年5月、 p.19。
  4. ^ 第2回新語・流行語大賞”. 新語・流行語大賞. 2009年12月10日閲覧。

外部リンク[編集]