磯浜古墳群
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磯浜古墳群 | |
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日下ヶ塚古墳 | |
所在地 | 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町 |
位置 | 北緯36度18分57.60秒 東経140度34分13.33秒 / 北緯36.3160000度 東経140.5703694度座標: 北緯36度18分57.60秒 東経140度34分13.33秒 / 北緯36.3160000度 東経140.5703694度 |
規模 | 古墳6基:前方後円墳2・前方後方墳1・円墳1・墳形不明2 |
築造時期 | 3世紀中頃-4世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「磯浜古墳群」 |
地図 |
磯浜古墳群(いそはまこふんぐん)は、茨城県東茨城郡大洗町磯浜町にある古墳群。3基が国の史跡に指定されている。
概要
[編集]茨城県中部、那珂台地の磯浜支丘末端部の太平洋(鹿島灘)に面する位置に営造された古墳群である[1]。前方後円墳2基(日下ヶ塚・坊主山)・前方後方墳1基(姫塚)・円墳1基(車塚)・墳形不明2基(五本松・五本松下)の計6基が遺存する[2]。1949年(昭和24年)に日下ヶ塚古墳の発掘調査が実施されているほか[3]、近年に測量調査・発掘調査が実施されている。
古墳群のうち日下ヶ塚古墳(ひさげづか、常陸鏡塚古墳)は墳長約101.4メートルの大型前方後円墳であり、1949年(昭和24年)の調査で人骨とともに鏡2面・石製模造品・玉類・鉄製品など4,100点におよぶ豊富な副葬品が検出されたことで注目される[4]。また車塚古墳は直径約88メートルの円墳で、円墳としては全国屈指の規模になる[5]。
この磯浜古墳群は、古墳時代前期前葉(3世紀中頃)の姫塚古墳から築造が始まり、古墳時代中期初頭(4世紀後半)の車塚古墳で終焉を迎えたと推定される[2]。周辺の髭釜・一本松遺跡は弥生時代から古墳時代に続く大規模集落遺跡で、その流れで営造された首長墓群とされる[6]。太平洋を一望するとともに那珂川・涸沼川水系の河口部に所在することから、被葬者が水上交通を掌握した様子が示唆される[4]。具体的な被葬者は明らかでないが、付近に鎮座する大洗磯前神社の神陵とする説のほか、仲国造一族の墓とする説などが挙げられている[7]。
日下ヶ塚古墳・姫塚古墳・車塚古墳の古墳域は2020年(令和2年)に国の史跡に指定されている[8]。
遺跡歴
[編集]- 文政8年(1825年)、日下ヶ塚権現台に遠見番所の設置[9]。
- 天保7-13年(1836-1842年)、遠見番所を強化して磯浜海防陣屋の設置[9]。
- 元治元年(1864年)、天狗党の乱で磯浜海防陣屋が焼失[9]。
- 『新編常陸国誌』に車塚・琵琶塚・徳利塚の記載[7]。
- 1949年(昭和24年) 8月、日下ヶ塚古墳の発掘調査。副葬品多数の出土(國學院大學考古学研究室、1956年に報告書刊行)[3]。
- 1953年(昭和28年)、日下ヶ塚古墳・車塚古墳が「日下ヶ塚」・「車塚」として茨城県指定史跡に指定[3][10][注 1]。
- 1970年(昭和45年)、車塚古墳の測量調査(大洗町教育委員会、1971年に報告書刊行)[11]。
- 2009年度(平成21年度)、車塚古墳・姫塚古墳の測量調査(大洗町教育委員会、2013年に報告書刊行)。
- 2010年度(平成22年度)、日下ヶ塚古墳の測量調査(大洗町教育委員会、2015年に報告書刊行)。
- 2011年度(平成23年度)、車塚古墳・姫塚古墳の範囲確認調査(大洗町教育委員会、2013年に報告書刊行)。
- 2012年度(平成24年度)、日下ヶ塚古墳の範囲確認調査(大洗町教育委員会、2015年に報告書刊行)。
- 2019年度(令和元年度)、坊主山古墳の測量調査[12]。
- 2020年(令和2年)3月10日、日下ヶ塚古墳・姫塚古墳・車塚古墳が国の史跡に指定[8]。
- 2020年度(令和2年度)、坊主山古墳の範囲確認調査[13]。
一覧
[編集]築造順 | 古墳名 | 座標 | 形状 | 規模 | 築造時期 | 史跡指定 | 備考 |
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1 | 姫塚古墳 (ひめづか) |
北緯36度19分4.55秒 東経140度34分15.95秒 | 前方後方墳 | 墳丘長29m | 3世紀中頃 | 国の史跡 | |
2 | 五本松古墳 (ごほんまつ) |
北緯36度19分3.6秒 東経140度34分10.8秒 | 墳形不明 | 3世紀後半- 4世紀初頭 |
なし | ||
3 | 五本松下古墳 (ごほんまつした) |
北緯36度19分4.8秒 東経140度34分12.9秒 | 墳形不明 | 3世紀後半- 4世紀初頭 |
なし | 地下保存[15] | |
4 | 坊主山古墳 (ぼちゃのやま) |
北緯36度19分1.57秒 東経140度34分19.48秒 | 前方後円墳 | 墳丘長63m | 4世紀前半- 4世紀中頃 |
なし | |
5 | 日下ヶ塚古墳 (ひさげづか、 常陸鏡塚古墳) |
北緯36度18分57.60秒 東経140度34分13.33秒 | 前方後円墳 | 墳丘長101.4m | 4世紀中頃 | 国の史跡 | 副葬品4100点以上の出土 |
6 | 車塚古墳 (くるまづか) |
北緯36度19分2.55秒 東経140度34分34.70秒 | 円墳 | 直径88m | 4世紀後半 | 国の史跡 | 円墳としては全国屈指の規模 |
(不明) | (消滅古墳) | 北緯36度19分5.07秒 東経140度34分8.07秒 | 円墳 | なし |
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姫塚古墳
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坊主山古墳
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車塚古墳
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磯浜海防陣屋跡
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日下ヶ塚古墳出土品
國學院大學博物館展示。 -
日下ヶ塚古墳出土 変形四獣鏡
大阪府立近つ飛鳥博物館企画展示時に撮影。
文化財
[編集]国の史跡
[編集]脚注
[編集]注釈
- ^ 茨城県指定史跡「日下ヶ塚」・「車塚」の指定日について、茨城県教育委員会サイトでは1953年(昭和28年)7月9日とするが、大洗町サイトでは1953年(昭和28年)3月19日とする。
出典
- ^ 常陸鏡塚古墳(古墳) 1989.
- ^ a b c 磯浜古墳群の国指定について(大洗町教育委員会生涯学習課文化振興係)。
- ^ a b c 日下ケ塚(茨城県教育委員会)。
- ^ a b c 日下ヶ塚古墳 史跡説明板。
- ^ a b 車塚古墳 史跡説明板。
- ^ 日下ヶ塚(常陸鏡塚)古墳の範囲確認調査の実施について(大洗町ホームページ)。
- ^ a b 鏡塚古墳群(平凡社) 1982.
- ^ a b c 令和2年3月10日文部科学省告示第17号。
- ^ a b c 磯浜海防陣屋跡(大洗観光協会)。
- ^ 車塚(茨城県教育委員会)。
- ^ 磯浜車塚古墳(古墳) 1989.
- ^ 坊主山古墳の測量調査(大洗町教育委員会)。
- ^ 坊主山古墳の範囲確認調査(大洗町ホームページ)。
- ^ 磯浜古墳群(茨城県教育庁 総務企画部 文化課)
- ^ 磯浜古墳群回遊マップ(令和元年11月20日 大洗町教育委員会生涯学習課 作成 )
- ^ 文化審議会の答申(史跡等の指定等)について(文化庁報道発表、2019年11月15日)。
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 日下ヶ塚古墳 史跡説明板(大洗町教育委員会、2014年設置)
- 車塚古墳 史跡説明板(大洗町教育委員会、2018年設置)
- 「鏡塚古墳群」『日本歴史地名大系 8 茨城県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490085。
- 『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 小林三郎 「鏡塚古墳 > 常陸鏡塚古墳」、小林三郎 「車塚古墳 > 磯浜車塚古墳」。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『常陸鏡塚(国学院大学考古学研究報告 第1冊)』綜芸舎、1956年。
- 『大洗町車塚古墳群測量調査報告書』大洗町教育委員会、1971年。
- 『茨城県東茨城郡大洗町 車塚古墳・姫塚古墳 -平成21年度測量調査・平成23年度範囲確認調査概要報告書-(大洗町文化財調査報告書 第14集)』大洗町教育委員会、2013年。
- 『大洗町内遺跡調査報告書 2012・2013年度(大洗町文化財調査報告書 第17集)』大洗町教育委員会、2015年。
- 『茨城県東茨城郡大洗町 日下ケ塚(常陸鏡塚)古墳 -平成22年度測量調査・平成24年度範囲確認調査概要報告書-(大洗町文化財調査報告書 第18集)』大洗町教育委員会、2015年。