石谷清長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
石谷清長
時代 江戸時代初期
生誕 慶安元年(1648年
死没 宝永元年1月6日1704年2月10日
別名 孫四郎、市右衛門
幕府 江戸幕府
氏族 石谷氏
父母 父:石谷清亮、母:中山直定の娘
養父:石谷成勝
兄弟 女子(高木定清の妻)、女子(五味豊旨の妻)、石谷清信石谷清長石谷清宗
久松定久の娘
養子:石谷清定、養女:石谷清定の妻(石谷清信の娘)石谷清夤

石谷 清長(いしがや きよなが、慶安元年(1648年) - 元禄17年1月6日1704年2月10日))は、江戸時代旗本

生涯[編集]

石谷清亮の二男として生まれ、元禄元年7月12日(1688年8月7日)石谷成勝養子としてその家を継ぎ、同年11月23日(1688年12月15日)徳川綱吉に初めて拝謁した。元禄2年4月29日(1689年6月16日)、書院番となり、元禄10年7月26日(1697年8月31日)、所領500石の他に得ていた廩米200俵を改め、武蔵国埼玉郡に領地を賜り合計で700石を知行した。

石谷清長の跡は、久松定矩の子・石谷清定が、石谷清長の実兄である石谷清信の娘を妻として、清長の養子となって継いだ。

参考文献[編集]