矯公羨

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矯公羨
各種表記
クォック・グー Kiều Công Tiễn
漢字チュノム 矯公羨
北部発音: キェウ・コン・ティエン
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矯公羨(キェウ・コン・ティエン、ベトナム語: Kiều Công Tiễn / 矯公羨、生年不詳 - 938年)は、ベトナムの君主。中国史書では、皎公羨とも書かれる。

生涯[編集]

10世紀初頭の北ベトナムで、峰州の豪族として頭角をあらわした。楊廷芸に仕えていたが、937年にこれを殺して自立し、節度使を称した[1]。楊廷芸の娘婿であった呉権がこれに対して挙兵したため、矯公羨は南漢に救援を求めたが、938年、南漢の援軍が迫るなか呉権の軍に殺害された[1]

出典[編集]

  1. ^ a b 小倉貞夫 『物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』 中公新書、58-59頁。ISBN 4-12-101372-7