楊廷芸

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楊廷芸(ようていげい、Dương Đình Nghệ、ズオン・ディン・ゲ、? - 937年)は、ベトナム後楊朝の君主。

概要[編集]

10世紀初頭の北ベトナムは、静海軍節度使を称した曲氏の交州政権の下にあった。楊廷芸は、愛州(現在のタインホア[1]の出身で、曲氏政権のもとで将軍にのぼった。曲氏の三代目の曲承美は、930年南漢の将軍の李守鄘・梁克貞らに敗れて捕らえられた。楊廷芸は、翌931年に南漢にそむいて自立し、3000の兵を率いて大羅城を攻略[1]、南漢の交州刺史の李進を追放した。937年、峰州の豪族の矯公羨のために殺された。

この後に呉朝を打ち立てた呉権は楊廷芸の娘婿であった[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c 小倉貞夫 『物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』 中公新書、57−58頁。ISBN 4-12-101372-7