矢口啓一郎
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基本情報 | ||||||||||||||||||
本名 | 矢口 啓一郎 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1980年5月17日(44歳) | |||||||||||||||||
身長 | 170.6cm | |||||||||||||||||
体重 | 80.0kg | |||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||
所属 | 日本競輪選手会群馬支部 | |||||||||||||||||
ホーム | 前橋 | |||||||||||||||||
期別 | 86期 | |||||||||||||||||
脚質 | 両 | |||||||||||||||||
登録地 | ||||||||||||||||||
2001- 2002-2004 |
日本競輪選手会群馬支部 日本ナショナルチーム | |||||||||||||||||
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自転車競技情報 | ||||||||||||||||||
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■最終更新日:2024年5月15日 ■テンプレートを表示 |
矢口 啓一郎(やぐち けいいちろう、1980年5月17日- )は、群馬県出身の競輪選手。日本競輪学校第86期。同期には、井上昌己、村上博幸、稲垣裕之、植松仁らがいる。登録番号013760。座右の銘は「克己」。
略歴
[編集]高崎経済大学附属高等学校卒業。在学時は空手部に所属していた[1]。2001年8月8日、宇都宮競輪場でデビューし1着。及び当開催の完全優勝も記録。2002年にアテネオリンピックを視野に入れた強化指定選手に選出される[2]。
2003年、メキシコ・アグアスカリエンテスで開催された、UCIトラックワールドカップのケイリンを優勝[3]。同大会同種目としては、1999年の太田真一に次ぐ優勝記録となった。翌2004年、四日市競輪場で開催されたアジア自転車競技選手権大会のケイリンでも優勝。アテネオリンピックの日本代表候補にも上ったが、同年のメルボルンで開催された世界自転車選手権で振るわず、オリンピック出場は絶たれた[4]。
その後は日本ナショナルチームから離れ、競輪選手としての活動に専念している。2009年の大宮記念(GIII)で記念初優勝[5]。同年の地元前橋記念(GIII)では、準決勝の落車により肋骨を骨折しながらも優勝している[6]。
GI戦線の常連として長年S級で活躍したが、2017年の日本選手権競輪出場を最後に特別競輪の舞台からは遠ざかっている。2023年前期には、2002年後期以来となるA級1班へ降班した[7]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “初日インタビュー”. 第9回 国際自転車トラック競技支援競輪(GⅢ). e-SHINBUN(イー新聞) (2019年). 2024年5月15日閲覧。
- ^ “「ナショナルチーム」及び「強化指定選手」の選考について”. KEIRIN.JP (2002年12月25日). 2024年5月15日閲覧。
- ^ “2003年トラックワールドカップ 第2戦 メキシコ大会(速報)矢口啓一郎 男子ケイリン 金メダル獲得!”. KEIRIN.JP (2004年). 2024年5月15日閲覧。
- ^ “2004 年トラック世界選手権大会”. シクリスムエコー No.108 2004 年 6 月号. 財団法人 日本自転車競技連盟. pp. 12-13 (2004年). 2024年5月15日閲覧。
- ^ “矢口が記念競走初優勝/大宮競輪”. スポーツニッポン (2009年1月15日). 2024年5月15日閲覧。
- ^ “矢口啓一郎が地元記念を初優勝”. スポーツニッポン (2009年12月5日). 2024年5月15日閲覧。
- ^ “矢口 啓一郎選手 級班履歴”. 日刊プロスポーツ新聞社. 2024年5月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- プロフィール - KEIRIN.JP
- 2003・W杯アグアスカリエンテス大会結果(サイクリングニュース。英語)
- 矢口啓一郎 - サイクリングアーカイヴス