王嗣

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王嗣
蜀漢
汶山太守・鎮軍将軍
出生 生年不詳
益州犍為郡資中県
死去 没年不詳
拼音 Wáng Sì
承宗
主君 劉禅
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王 嗣(おう し、生没年不詳)は、中国三国時代の政治家・武将。蜀漢に仕えた。承宗益州犍為郡資中県(現在の資陽市)の人。

経歴[編集]

延熙年間(238年-257年)、功業・徳行が顕著ということで孝廉に推挙された。次第に昇進して西安囲督・汶山太守となり、安遠将軍の位を加えられた。領内の族に恩愛と信義をもって接したため、みな彼に帰服した。また、平素乱暴な諸部族もみな帰服したため、北方の国境地帯は安寧となった。そのため、姜維北伐をする度に羌族は馬・牛・羊の毛織物や穀物を献上し、姜維はその物資を頼みとして戦うことができた。その後、鎮軍将軍に昇進し、そのまま太守も兼任した。

王嗣は人情に厚く実意ある人柄で、人々に愛され信頼された。

姜維の北伐に随行した際、流れ矢に当たって負傷し、その矢傷のため数ヶ月後に死去した。野辺送り(見送り葬)をする異民族は数千人に昇り、みな涙を流し声を上げて泣いたという。羌族は王嗣の子や孫たちに対し肉親のように接し、あるいは義兄弟の契りを結んだりした。彼への恩愛は非常に厚かったという。