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狩野宗信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

狩野 宗信(かのう むねのぶ、生没年不詳)は、日本の江戸時代前期に活動した狩野派絵師。狩野派で宗信を名乗った絵師は、狩野元信の長男・祐雪宗信や、元禄6年(1693年)正月に金沢市椿原天満宮に「松梅図」絵馬を奉納した即誉宗信などがいるが、本項目では狩野安信の弟子を扱う。

略伝

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通称は半左衛門、円善斎と号す[1]。父は松雪といい、同じく狩野安信の門人とされる(『古画備考』)。愛知県愛知郡東郷町にある祐福寺には海北松雪筆「帝鑑図」屏風(六曲一隻)があり[2]、海北姓を称しているが画風は狩野派風なことから、海北松雪は狩野派に転向した宗信の父で、宗信も父と共に狩野派に転じたと考えられる。後年は京都で暮らした。

作品は狩野派らしく漢画もあり、やや古風である。一方で風俗画を得意としたようだ。特に17世紀後半に狩野派の絵師が歌舞伎風俗を描いているのは珍しい。

作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款 印章 備考
桜下麝香猫図屏風 紙本金地著色 六曲一双 156.4x363.3(各) 根津美術館 「狩野」朱文鼎印・「宗信」朱文重廓方印[3]
人物・花鳥押絵貼屏風 東京国立博物館 「狩野宗信筆」 「狩野」白文長方印・「雪」壺印
花鳥図押絵貼屏風 紙本墨画 六曲一双 113.6x50.2(各) 板橋区立美術館 各図に「狩野宗信筆」 「雪」壺印・印文不明朱文長方印[1]
西王母図屏風 日光東照宮 「狩野」朱文鼎印・「宗信」方印
獅子図屏風PDF 紙本墨画 六曲一双 常泉寺 (魚津市) 「活発子無礙焉書」「狩野宗信筆」 魚津市指定文化財。美術史家福井利吉郎印章の一つを「祐雪」と読んで祐雪宗信筆と考え[4]、上記のリンク先でも同様である。しかし、画風は古風ではあるが明らかに探幽様式が入っており、別筆だと考えられる[5]
猿若狂言図 1666年(寛文6年) 「狩野氏藤原宗信筆」 市村竹之丞が奉納した絵馬[6]
職人尽くし図屏風 1669年(寛文9年)頃
涅槃図 紙本著色 1幅 197.0x198.5 木戸安養寺(大津市 1672年(寛文12年) 「寛文十二壬子年二月 日 狩埜宗信像焉」 「雪」壺印・「信□之印」方印・「雪」楽器形印[7]
東海道五十三次図屏風 紙本金地著色 六曲一双 155.5x378.6(各) 江戸東京博物館[8] 1661-73年(寛文年間) 「藤原狩野宗信筆」(各隻)
地獄極楽図 双幅 浄泰寺(唐津市 1677年(延宝5年) 「延宝五丁巳歳閏十二月」 印文不明朱文長方印
化物絵巻 紙本著色 1巻 26.8x807.0 九州国立博物館 後半期の作品か 「狩埜宗信画焉」 「雪」朱文壺印・印文不明朱文長方印 詞書無し。狐火大入道灯明の油を舐める山伏にお化けた獣、化け猫河童川獺、梟法師、雪女、大烏、蜘蛛の化物、野衾、蛸入道と鯰女の11場面を描く[9]

脚注

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  1. ^ a b 佐々木英理子(板橋区立美術館)編集 『板橋区立美術館所蔵 狩野派全図録』 板橋区立美術館、2006年4月、図13。
  2. ^ 文化庁 愛知県教育委員会編集・発行 『文化財集中地区特別総合調査報告書 愛知県の文化財』 1995年3月31日、pp.20-21。
  3. ^ 根津美術館学芸部編集 『根津美術館贓品集 書画編』 根津美術館、2001年4月27日、p.152-153、ISBN 4-930817-28-5
  4. ^ 福井利吉郎 「祐雪宗信と大和絵」『MUSEUM』第124,125号、東京国立博物館、1961年。
  5. ^ 宮島(2005)p.36。
  6. ^ 藤懸静也国華』第359号。
  7. ^ 滋賀県立琵琶湖文化館編集・発行 『釈迦の美術』 2003年10月11日、23図(白黒図版)。
  8. ^ 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館編集・発行 『特別展 江戸の街道をゆく ~将軍と姫様の旅路~』 2019年4月27日、第74図、ISBN 978-4-909155-10-8
  9. ^ 九州国立博物館編集・発行 『トピック展示「館蔵近世絵画名品展」』 2014年2月25日、図5。

参考文献

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  • 町田和也 「宗信筆「職人尽屏風」」 『国華』第1126号、1989年
  • 宮島新一 「館蔵「化物絵巻」の絵師、狩野宗信について」『東風西風 九州国立博物館紀要 創刊号』 2005年10月1日、pp.36-40